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JOURNAL

『美食通信』 第三十九回 「魅惑のロールキャベツ――おふくろの味から高級フレンチまで――」

『美食通信』 第三十九回 「魅惑のロールキャベツ――おふくろの味から高級フレンチまで――」

 今年初めての元代々木町「シャントレル」での食事を前に中田シェフから「メインはシューファルシということで」とのメールが入りました。寒い冬の時期、シャントレル定番のメイン料理の一つにこの「シューファルシ」があります。「シューファルシ」はフランスオーベルニュ地方の郷土料理でキャベツを丸ごと使ったロールキャベツのこと。シェフが修業されたオーベルニュ地方サンボネ・ル・フロワ村にある三つ星レストラン「レジス・マルコン」のスペシャリテ。キャベツに挟むひき肉はマルコンでは豚肉なれど、福島県川俣町の「川俣シャモ」を用いているところが中田流。さらに鶏肉ではオイリーさが足りないのでフォアグラを忍ばせるところが憎い。身も心も温まる逸品。  しかし、思い起こせばロールキャベツというのはまさに「おふくろの味」。筆者が子供の頃、必ず食卓に上ることのある料理でした。ゆがいたキャベツで俵状のひき肉を包んで楊枝で止めて、水に溶かした固形コンソメでコトコトと煮込む。それだけ。だいたい肉よりキャベツの量の方が多くて、何か損した気持ちになったものでした。ですので、ナイフとフォークで食べるにしてもキャベツとひき肉を一緒に食することなど稀で、コンソメと肉の味の滲みたキャベツを一口分に切り分け、まずそれを平らげ、むき出しにされた可愛らしいひき肉の残骸を半分か三等分にして食し、最後に残ったスープをいただくといった手順。肉の旨味を充分吸った甘みのあるキャベツがメインの食べ物であることは子供心にも何となく分かるも、やっぱり肉が恋しい気持ちになったものです。  マルコンの流れを汲む中田シェフの「シューファルシ」ももとはと言えば、フランスの田舎の家庭料理を芸術品にまで高めたもの。ただ、筆者はこの「シューファルシ」から今は亡き母のロールキャベツを懐かしく連想することはありません。あれはまったく別物だ。筆者の母は外食を好まず、来客があっても店屋物(出前)をとることは滅多にありませんでした。別に料理上手というほどのことはないと思うのですが、自分の作ったものを子供に食べさせるという信念があったらしいことは、亡くなった後の叔母たちの話からも明白なようです。ですから、今でも筆者はどうしてももう一度食べたいものがあるとすれば、母の作ったある料理に尽きると思っています。「ロールキャベツ」ではないのですが、「おふくろの味」というのは別格なのです。  そんな「おふくろの味」の一つである「ロールキャベツ」などお金を払って外で食べるものではないと当初筆者は考えていたように思います。それを覆すことになったのは、大学生になって、友人に安くて美味しいものがあるから食べに行こうと誘われて、新宿の「アカシア」という店に連れて行かれたときのことでした。今調べてみると洋食屋でハヤシライスやカレー、ポークソテーやクリームコロッケもあるようですが、半世紀近く前に出かけた際は「ロールキャベツ」しかないと思っていました。誰もが「ロールキャベツ」を頼んでいたからです。しかも、その「ロールキャベツ」はコンソメ仕立てではなく、白いシチュー仕立てでした。しかも、安い。「ロールキャベツシチュー」にご飯が付いて、四百円しなかったのでは。美味しいかと言えば、筆者はあまり感動しませんでした。ただただ、「ロールキャベツ」が外食になっているのに驚いた。カルチャーショックでした。  当時、メニュが一つきりということで覚えているのは渋谷百軒店(だな)にある「ムルギー」というカレーの老舗です。筆者は「ライオン」というクラシック喫茶によく出かけていて、そのすぐ近くに「ムルギー」はあり、ついでに寄ってしまう。それは怖い物見たさと言った風で。とにかく店内が暗いのです。厨房だけが妙に明るく、店内の照明はその明かりだけで賄っていたのでは。暗がりを恐る恐る空いたテーブルに座ると、ご老体が水の入ったコップを持って登場し、ボソッと「ムルギー卵入りですね」とおっしゃる。か細い声ながら有無を言わせぬ無言の圧力があり、「はい」と答えざるを得ない。確か店の入り口には何種類かのカレーが書いてあったようななかったような。もう、どうでも良い。出てきたカレーにまたビックリ。ご飯がピラミッド型に盛られているのです。カレールーの味もインド風でもなければ、欧風でもない。茹で卵が乗っているし。当時はネットも何もないので、本か何かで調べたのだと思いますが、老夫婦が営んでおられ、ご夫人が厨房を担当。御主人が第二次世界大戦中赴いたインドネシアで食べたカレーを再現したものらしい。これも美味しいかどうかはよく分からないのですが、あの雰囲気がクセになってしまい、結構出かけました。もちろん、「ムルギー卵入りですね」を聞きたくて。驚くべきは代替わりしたとはいえ、「ムルギー」も「ライオン」も健在なこと。新宿「アカシア」もそうですが、老舗恐るべしです。  閑話休題。さて、あと「ロ―ルキャベツ」が名物なのは「ロシア料理」。こちらはトマト味にサワークリーム。これも何だか怪しいのですが、東京で「ロシア料理」店といえば、浅草。筆者が何度か訪れたのも浅草の「ストロバヤ」です。これは今回調べたのですが、赤坂のロシア料理店で修業した方が浅草で「マノス」を開店。「マノス」出身の料理人たちが同じ浅草で「ストロバヤ」、「ラルース」、「ボナフェスタ」を開店。この四店が老舗であるとのこと。下町の「ロシア料理店」は同じ浅草の「洋食店」、例えば「ヨシカミ」、「グリルグランド」、「リスボン」といった店と似た趣があります。洗練さよりも親しみやすさ、本格的なロシア料理ではなく、日本風にアレンジメントされたもの。フランス料理ではなく、あくまで「洋食」であること。この怪しさがまた魅力的なのですが。なかなか高価な「ロールキャベツ」を食することが出来ます。  結局のところ、「ロールキャベツ」はノスタルジックな料理なのかも。しかも、ちょっとマージナルな(周辺的な)趣が。新宿の安くて美味しい老舗洋食。浅草のロシア料理店。それにフランスの片田舎の郷土料理、と。しかも、意外にも高級フランス料理店で食した「シューファルシ」がシンプルな澄んだスープ仕立てで、家で食していたものに一番近い。巡り巡って、行きつく先は「おふくろの味」ということかもしれません。 今月のお薦めワイン 「メドックの秀逸なる次席〈サン=ジュリアン〉――隠れたる第四級の逸品〈シャトー・ブラネール=デュクリュ〉――」 「シャトー・ブラネール=デュクリュ 2018年 ACサン=ジュリアン 第四級」12000円(税別)   ブルゴーニュ、イタリア、そしてこのクールの最後はボルドーワインです。筆者はワインを本格的に嗜もうと思った際、ボルドーワインを極めることがそれに相応しい方途(メソッド)であると考え、四半世紀近くそれを貫き通しました。ただ、ここ数年はブルゴーニュに関心があります。年を取り、酒量もめっきり減り、重いワインが辛くなってきたからです。それでも長年親しんだボルドーワインへの敬意は変わりありません。ということで、まずはボルドーを代表するメドックの格付けワインから紹介させていただきたく思います。  ボルドーと言えば、五大シャトー。この五大は1855年のメドック格付け(一級から五級)で第一級を獲得した四つのシャトーに、例外的に1973年第二級から昇格したシャトー・ムートン=ロートシルトを加えたもの。筆者がボルドーに決めたのもムートンの1984年に感動したからでした。  格付けされたワインを産するのは四つの村と一つの広域のアペラシオン(オー=メドック)に限られ、第一級はポイヤックとマルゴーだけ(オー=ブリオンは例外でメドックではなくグラーヴのワイン)。第二級になるとサン=ジュリアンとサン=テステフも登場し、オー=メドックは第三級以下になります。  今回紹介させていただくシャトー・ブラネール=デュクリュはサン=ジュリアンの第四級。サン=ジュリアンは第一級こそないものの第二級が五シャトーもあり、そのすべてがスーパーセカンドと呼ばれる第一級に迫る優れもの。色は青インクのように濃く、色を見ただけでサン=ジュリアンと分かる。タンニンのしっかりしたタイトな造りは堂々たるポイヤックとは対照的ながらどちらも品格がある。女性的なマルゴー、土っぽさを感じるサン=テステフ、ニュートラルなオー=メドックとそれぞれが個性的。  ブラネール=デュクリュは色、香り、味わいのすべてに「チョコレートに似た風味」を持つというサン=ジュリアンの中の個性派。固い感じのワインが多いサン=ジュリアンでしなやかさを有し、比較的早くから美味しく飲めるというメリットも。筆者が愛好するシャトーの一つで、パリで二十世紀最大のグレイトヴィンテージの一つ、1945年を購入し開けたこともあります。 サン=ジュリアンの「偉大さ」より「魅力」をお求めなら、迷わずブラネール=デュクリュを選ばれることです。という訳で、今回はグレイトヴィンテージですのでまだちょっと早いかもしれない2018年を選んでみました。今飲んでも良し、もう少し寝かせてから飲んでも良し。この機会に是非、その魅力を体験していただければ幸いです。 略歴関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE BOOOK関修公式HP  

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『美食通信』第三十八回 「例外的なラーメン食――島田「ル・デッサン」――」

『美食通信』第三十八回 「例外的なラーメン食――島田「ル・デッサン」――」

 事ある毎にお伝えしていると思いますが筆者は「グルメ」ではありません。グルメには類語に「グルマン」があり大食漢という意味からも、美味しいものであれば何でも食べるのが好きというニュアンスだと思います。それに対し、「美食」は「ガストロノミー」、「ガストン」が胃を意味し「食べること」ととしたら、「ノミー」は「ノモス」=法、「律すること」であり、「ガストロノミー」は「食を律すること」即ち「テイスティング」であると筆者は考えます。  筆者は外食を好みませんし、外食するとしたら、基本フランス料理あるいはフランスワインを嗜むことと決めております。「美食」とはある種の専門性を持つものではないでしょうか。フランス料理のシェフがフランス料理を極めようとするなら、それを食する方もフランス料理を食することを極めようと応えるべきでは。これが「美食」であり、食する方は何でも食い散らかしてよいという訳ではありません。  筆者は自宅でフランス料理を食することはありませんが、食後に必ずデセールをいただきます。そこでいつの頃からか、主食の炭水化物を摂らないようになりました。米、パン、麺類。パンを少しは食べますが、例えば、大学での昼食に時間もないので菓子パンをかじったり、ホテルの朝食でクロワッサンを一つくらいとか、まあそんなものです。いわゆる「おかずっ食い」というやつです。  カレーは好物で一週間に一度は自宅で夕食にカレーを食しますが、決まった銘柄のレトルトカレー四種をローテーションで食べています。もちろん、ルーだけであとは野菜系の副菜を食して終わり。デセールがありますので。フランス料理以外の外食で鰻が好みなのも、蒲焼だけ頼めるからです。鰻重は食しません。イタリアンが悩ましいのは料理的には好みなのですがパスタが食べきれないので、一口くらいテイスティングさせていただき、あとは同行者に食べてもらうしかありません。生ものは元々それほど好みではなく、フランス料理を選んだのも基本火が通ったもの、即ち手を加え調理したものがフランス料理の文化だったからでしょう。  ですので胃にもたれる麺類を食することが一番ありません。その中でも滅多に食べないのがラーメンです。何が駄目なのかと言えば、スープの中に麺が浮かんでいるのが許せないのです。パスタはソースにあえてあるのでまだ食べてみたい。蕎麦は軽いので「ざる」ならまだいける。うどんもぶっかけなら少々。ラーメンはスープが命でしょうから、それも麺も残して具だけ食べる訳にもいかず、何とも縁がなさそうな食べ物であることよ。  もちろん、子供の頃は食べていました。インスタントラーメン全盛期の生まれですので。カップヌードルが登場した時は驚きましたが、正直美味しいと思ったことはありません。インスタントラーメンでもう一度食べてみたいと思うのは明星の「劉昌麺(りゅうしょうめん)」です。あくまでスープが他の銘柄と比べて断トツに美味しく思えたからです。まだ諏訪に住んでいた一九七〇年初めの頃の話です。  そんな筆者がラーメンを食する機会をこのところ年一、二回持つようになっています。それは静岡県の島田市にある「ル・デッサン」というラーメン店に出かけるようになったからです。両親が亡くなった後、二人の故郷の静岡市に年に一、二度出かけるようにしているのですがその折、市内にある「カワサキ」というフレンチに出かけています。『ゴ・エ・ミヨ』でミシュランの一つ星に相当する三トック(コック帽)を獲得している名店です。何故か〆にラーメンが出るのでどうしてか、店主の河崎シェフに尋ねたところ、島田の「ル・デッサン」で教わって出しているとのこと。「ル・デッサン」という名前に聞き覚えがあったので、あの増田シェフの「ル・デッサン」と確かめたところ、そうである、と。 「ル・デッサン」というのはもう四半世紀近く前になりましょうか、都営地下鉄大江戸線が開業となった際、新設の牛込柳町駅近くに開業したフランス料理店でした。壁には増田シェフが描かれた絵が飾られている小洒落た店で奥様の暖かいサーヴィスと共に人気の店で筆者もよく通ったものです。ただ、筆者は二〇〇五年に大病をして、九死に一生を得たもののしばらく外出を極力控えねばならなくなりました。そのうち、気づくと「ル・デッサン」は閉店しており、増田シェフご一家は実家のある島田市に帰られたという話を聞いたのです。  筆者はフレンチ以外のことに疎いので、まさか島田に戻られた増田シェフがラーメン店を開かれたとは露知らず。しかもフレンチの時と同じ「ル・デッサン」を名乗られているとは。しかし、事情が分かると納得の行くことばかりで。元々、静岡市のお隣の藤枝市やさらにそのお隣の島田市には「朝ラー」と呼ばれる朝食にラーメンを食する習慣があり、ラーメン店の激戦区であるとのこと。実際、「ル・デッサン」は朝七時から午後一時までの営業で麺が無くなり次第、閉店になります。さらに、増田シェフのラーメンの出汁はホロホロ鳥、鴨などフランス料理の出汁をベースにしたもので牛込柳町時代の延長線上にあることが分かります。  そのような唯一無二(ユニーク)のラーメンは全国区の名店と評価され、この年明け一月十八日放映のTBSテレビでの「今一番美味しいラーメン決定戦!神の舌が選ぶ全国TOP30!最強ラーメン番付SHOW」にもホロホロ鳥の醤油ラーメンが取り上げられ、十五位にランクインしました。  筆者はこの番組を観ようかと思ったのですが、審査委員の一人が場違いで納得が行かなかったので見るのをやめました。ラーメンは専門の評論家が多数いらして、一人は石神某氏とまあ良かったのですが。ここは複数のラーメン専門家にきっちり判定してもらいたかったのに残念です。フランス料理はもっと悲惨で、日本では故見田盛夫氏以外、まともな評論家が皆無という状況。筆者が求めているのは料理評論家ではなく、あくまでフランス専門の評論家の必要性であることを誤解なきよう。  さて、増田シェフご夫妻のご尊顔を拝したく、筆者は島田に朝早くから出かけるのですが、何せこの時以外ラーメンを食しませんので何を選ぶかが至難の業で。というのも、スープの中に麺が浮かんでいるのが許せない筆者としては、同伴者の食するホロホロ鳥だのホタテだののスープは一口テイスティングさせていただきますが自分が選ぶことはなく……。唯一の救いは「まぜそば」でいつもこれを頼んでしまいます。ラーメン通からすれば、邪道かもしれませんがこれがなかなかの美味。花かつおがこれでもかと一面を覆った和のベースにオイスターソースやごま油と中華の要素も加わって旨味満載。筆者でも半分は食することが出来ます。この夏は「冷やし中華」に挑戦しました。アボカド、オリーブオイルで作られたマヨネーズと見た目もフレンチ風でこれも実に美味でした。  この三月に按田餃子の按田優子さんたちと静岡に出かける予定ですので、当然「ル・デッサン」にもお邪魔させていただきます。今度もまた新たなメニュにチャレンジしようと思っていますがまたまた傍流の変化球的なものになってしまうのだけは確かです。それでも多彩な球種を用意して下さっている増田シェフといつも暖かな出迎えをして下さる奥様に心から感謝する次第です。これまでも行列が出来る店ですので、ますます待ち時間が増えませんように。筆者は基本、予約なしに店に出かけることはなく、並んでまで食べるのは苦手ですから。 今月のお薦めワイン 「ネッビオーロはバローロ・バルバレスコだけではない――ピエモンテの逸品〈ガッティナラ〉――」 「ガッティナラ 2017年 DOCG ガッティナラ アンツィヴィーノ」 6620円(税別)   ブルゴーニュの次はボルドーと行きたいところですが、間にイタリアワインを挟んでボルドーの順に四クールしたいと思います。  さて、すでにイタリアのブルゴーニュに相当するのがピエモンテ州のネッビオーロ種100%で造られるワインであることは説明済みです。実際、ブルゴーニュが「ワインの王」と呼ばれているように、バローロが「イタリアワインの王」と呼ばれていることも。ただし、バローロはピエモンテの一村の名であり、ブルゴーニュで言えば、ヴォーヌ=ロマネのようなもの。これもまた、バローロにバルバレスコと言われますし、ブルゴーニュならさしずめジュヴレ=シャンベルタンと言ったところでしょうか。  しかも、バローロ、バルバレスコはピエモンテ州の南部に位置し、北部にもネッビオーロ種100%で造られる銘酒があり、「ゲンメ」に関しては名手ロヴェロッティの逸品を紹介させていただきました。実は北部にはもう一つ重要な地区があります。それが「ガッティナラ」です。という訳で今回は「ガッティナラ」を紹介させてください。  ブルゴーニュのコート・ドールでは北部のニュイの方が赤の銘酒に適しており、南部のボーヌはコルトン、ポマール、ヴォルネを擁するものの白ワインの銘酒の産地であったのに対し、ピエモンテでは南部アルバ地区のバローロ、バルバレスコばかりがクローズアップされて、北部のゲンメやガッティナラに陽が当たらないのは残念。  アンダースンは『イタリアワイン』でガッティナラを「菫の花の香りを持ち、鼻にはタール臭が感じられる。ソフトで後口にアーモンドの苦味が残る」とその特徴を書いています。  今回ご紹介するのは「アンツィヴィーノ」という1999年創業の新しいカンティーナのもの。ミラノから移り住んだオーナーは蒸留酒製造に使われていた古い修道院を購入し、伝統的な手法でワイン造りを行なっています。具体的には熟成はスロヴェニア産の大樽で三年、さらに瓶熟で一年といったように。ドライでアロマ、味わいにミネラルなどの複雑さがあり、それでいて、酸とタンニンのバランスは良く上品な仕上がり。  この機会に是非、ネッビオーロの多彩なポテンシャリティの一端をお楽しみいただければ幸いです。 略歴関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE BOOOK関修公式HP

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『美食通信』第三十七回 「昼のご馳走『鰻』――サクッと食べる贅沢な時間――」

『美食通信』第三十七回 「昼のご馳走『鰻』――サクッと食べる贅沢な時間――」

 この『美食通信』も四年目に入りました。主宰のThe Cloakroomの島田さん、また読者の皆様には引き続きのご贔屓どうかよろしくお願いたします。  さて、昨年に続き十二月の初め、栃木県大田原市にお住まいの大学院時代の先輩、M女史に会いに出かけました。昨年は那須の「レストラン・クエリ」でランチしましたが、今年はMさんのリクエストで芦野町にある「丁子屋」で鰻を食することになりました。大田原からは車で一時間弱、現在は那須町に属するのですが、同じ那須町でも別荘地として有名な那須高原は新幹線を挟んで反対側で、同じ山の中なれどこちらは鄙びた感じの旧奥州街道沿いに「丁子屋」はありました。M女史は子供の頃、「丁子屋」の真向かいにあった公証役場でお父様が所長をされており、役場の裏の社宅に住んでいたそうです。現在は更地となって町営の無料駐車場に。そこに車を停めて、「丁子屋」へ。週末は予約が必要な名店とのこと。  品書きは鰻重と蒲焼、白焼のみと酒のつまみもほぼ皆無に近く、何と潔いことよ。筆者は銘柄不明の冷酒一合に蒲焼、冷奴というシンプルな選択。蒸しが弱めで身がしっかりとしており、食べ応えのある蒲焼でした。  それにしてもこんな山の中に鰻屋とは。元々は旅籠として江戸時代から三百年以上の歴史があるそうで、鰻は近くに奈良川があるからとのこと。そう言えば、高知の四万十川の鰻は有名です。関東も坂東太郎、利根川を始め、多くの河川があるので鰻はあちこちで名物に。埼玉では浦和、川越。千葉では成田や佐原などなど。成田は新勝寺の参道沿いに鰻屋がずらっと軒を並べ、「川豊」、「駿河屋」といった名店が。  佐原は利根川べりですので、伊能忠敬旧邸周辺の昔の街並みを散策した後は鰻を食するのが常道でしょう。筆者は日帰りの他にも旧家をリノベーションした「ニッポニア」に何回か宿泊したことがあり、ディナーは付属のレストランでフレンチですが、翌日の昼はやはり鰻を食べました。「山田」が有名なようですが、筆者のお薦めは街並みからは離れてしまうのですが、まさに利根川ベリにある「麻生屋本店」です。工場のようなビルで趣はありませんが、一階で座敷に上がって鰻をいただくことができます。観光地から離れているので比較的空いているのと、蒲焼、白焼の他に「塩焼」があり、これが絶品です。見た目は白焼に似ているのですが、こちらはそのまま塩焼にするというなかなか野趣味ある一品。蒸していないので鰻に油がのっていて、なかなか食べ応えがあります。  思えば、筆者が子供の頃、ご馳走と言えば「鰻」でした。半世紀以上前、幼稚園から小学校四年生まで筆者は長野県の上諏訪市に住んでいたのですが、当時、家族での外食といえば、父の勤めていた銀行のすぐ脇にあった「寿司金」か、湖畔の方にしばし歩いたところにある鰻の「おび川」でした。「寿司金」はカウンターで、子供が食べるのはせいぜい巻物や海老、穴子、玉子といったところで、筆者の好物はその原型を知らない「蝦蛄(しゃこ)」でした。海老のように火が通っていて、穴子のような甘いツメがかかっている。それに比べ、「おび川」は二階に上がった座敷で大人も子供も同じ「鰻重」をいただくので、子供ながらに「おび川」に連れて行ってもらう方がご馳走感があり、嬉しく思ったものでした。数年前、四十年ぶりくらいに諏訪を訪れる機会を得ました。中学生の頃、父と一度出かけて以来です。「寿司金」も「おび川」も健在でした。「おび川」は昔のままの佇まいで、旅の終わりに昼に鰻をいただいて帰りました。焼きがしっかりしていて、味も濃く、子供の頃食べていたのはこんな鰻だったのかと感慨深いものがありました。  諏訪から神戸に引っ越したのですが、神戸で鰻を食した記憶がありません。穴子や鱧の押し寿司はいただきましたが。父がお土産に何処かからいただいてきた鱧の押し寿司は絶品でした。神戸での外食はやはりステーキが多かったです。印象に残っているのは父が「加美乃素」の偉い方とご一緒し美味しかったといって、来客があった際連れて行ってくれた「いかりや」でした。ステーキソースではなく、一口にカットされた肉をぽん酢でいただいたのは初めてでその美味しさに子供ながらに驚いたのをよく覚えています。この店も健在のようでさすが老舗と感心しました。和食で外食に出かけたのは「うどんすき」くらいでした。ポートタワーにあった「美々卯」に連れて行ってもらい美味しかったのでリクエストしたのですが高価だったのか「美々卯」は時々で、名前を逸しましたが新神戸駅近くの別の店によく出かけたものでした。  やはり、鰻さらには寿司は関東風が良かったのでしょう。しかし、思えば、筆者の亡き両親は共に静岡市生まれだったのですが、静岡で鰻を食したことがありませんでした。まあ、鰻は浜松が有名で静岡と浜松では同じ静岡県でも歴史的には藩が異なり、文化圏も異なっているからでしょうか。やはり駿河湾は魚介が豊富で、子供の頃、母方の祖母は料理が上手で、家に出入りの行商のおばさんが毎日来て、祖母が見繕って料理してくれ、寿司も家で手作りでしたので鰻の出番がなかったのでしょう。夜が和食でしたので、子供の頃の母方の祖父とのランチはもっぱら「グリル中島屋」で洋食でした。  両親が亡くなり、静岡に住んだことのない筆者はある種の郷愁もあり、年に何回か実家に出かけることがあるのですが、筆者の場合夜はフレンチですので、昼に何を食そうかと考えた時、鰻はどうかと思い、探したところ素晴らしい料理屋を見つけました。  現在は静岡市に合併した清水にある、旧東海道沿い、やはり街道沿いの筆者の好物の「追分羊羹」本店からしばらく静岡方向に向かうとある老舗の割烹「芳川」です。清水の次郎長や西郷隆盛も訪れたという料理屋で鰻が自慢ですが、他の料理も色々とあります。何が素晴らしいかというと素敵な中庭を眺めながら個室の和室で食する鰻は上品で格調高い。それで価格は普通の鰻屋と変わらない。今や栃木でも佐原でも5000円弱というのが相場で、あの空間で同じくらいの価格なら正直安いくらいです。  本来、鰻は鰻重の場合、焼き上がるまでに時間はかかるものの料理が出てくれば、お重をかき込む感じになります。「丁子屋」でも同じ部屋の先に来られていたお客様たちもお重が出てくると三十分もかからず、皆いなくなっていきました。筆者は蒲焼を肴に日本酒をちびちびやっているのですが、お重を食される方たちが食べ終わるまで焼きの待ち時間を含め一時間ほどでしょうか。「竹葉亭」や「野田岩」で鰻のコースでも食するなら別ですが、ディナーで何時間も座を温める料理ではありません。ちょっとした旅行や週末の昼を贅沢に過ごしたい時、「鰻」は最適のご馳走ではないでしょうか。次にいつ何処で「鰻」を食することになるのか。筆者はいつも楽しみにしております。 今月のお薦めワイン 「新たな年を祝って――シャンパーニュで乾杯――」 「クロエ AC シャンパーニュ ドメーヌ・ヴァンサン・クーシュ」 12000円(税別)   『美食通信』も四年目に入りました。この三年間、「今月のお薦めワイン」のコーナーはフランスとイタリアのワインに関してそれぞれを比較、類推させ、システマティックに概観して参りました。両国の主要なワインに関してはおおよそ網羅できたと自負しております。  そこで今年は筆者の飲んでみたいワインをブルゴーニュ、ボルドー、イタリアと三つのグループに限ってローテーション的に紹介させていただこうと思います。  フランス料理に関しては大学に入ってすぐから愛好家となり、半世紀近くになりますが、ワインはそれに遅れて十年ほど、一九九〇年代半ばパリに海外研究に出かけることになった頃からボルドーワインに特化して傾倒して参りました。その成果は現在、Facebookにて「エチケットは語る」という形で紹介させていただいております。  また、ここ十年近くは筆者も年を取ったのと、元代々木町「シャントレル」の中田シェフとの出会いからブルゴーニュワインに関心が移っています。さらにこのコーナーに協力下さっているイタリアワイン専門のインポーター「アビコ」の阿掛社長とも懇意にさせていただいており、イタリアワインにも貴重な体験を多々重ねることが出来ました。  そこで今年は筆者の心の赴くまま、まさに「お薦め」ワインを紹介させていただければと思う次第です。  といいつつ、最初から例外で申し訳ありませんが初回はブルゴーニュではなく、代わりにシャンパーニュでございます。まあ、ご存知のようにブルゴーニュの北にあたるシャンパーニュ地方はブルゴーニュと栽培する葡萄が重なってしまい、このままではブルゴーニュに太刀打ちできないのでドン・ペリニヨン修道士がシャンパーニュを考案なさったということになっております。  筆者は発泡酒に関してはシャンパーニュに尽きると思っています。これに匹敵するのは葡萄品種が同じイタリアのフランチャコルタくらいか、と。あるいはクレマンでブルゴーニュかアルザスに逸品があれば何とかといった感じでしょうか。  新しい年の門出にはやはりシャンパーニュが似合います。今回選んでみたのはACシャンパーニュの最南端、ブルゴーニュに近いコート・デ・バール地域のビュクスイユにドメーヌを構える自然派シャンパーニュの代表的造り手として有名なヴァンサン・クーシュの「クロエ」です。  セパージュはピノ・ノワール66%、シャルドネ34%。地域的にはシャンパーニュ南部なのでピノ・ノワールが主です。ただし、クーシュはシャルドネに適した畑も所有しており、ブラン・ド・ブランも造っています。「クロエ」はそのモングーのシャルドネをバランス良くブレンドした亜硫酸無添加の自然派シャンパーニュの名手による自信作です。  では、今年も良い年でありますように。読者の皆様の健康とご活躍をお祈りして。乾杯! 略歴関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE BOOOK関修公式HP

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『美食通信』 第三十六回 「エクレア好き――シュークリームでもなく、モンブランでもなく――」

『美食通信』 第三十六回 「エクレア好き――シュークリームでもなく、モンブランでもなく――」

 先日、あるテレビ番組で、究極の二択として「シュークリームかモンブランか」というテーマで街行く一般市民にアンケートし、どちらが多数だったかを当てるという企画を放映していました。筆者はシュークリームだろうと予想しました。  最新のトレンドとして紹介されていたシュークリームはカスタードクリームの上にバタークリームの塊を乗せたもので、最近よく見かけるバターを挟んだどら焼きとかの高級ヴァージョンなのが分かりました。モンブランは相変わらず、和栗とか、出来たら何分以内に食さないといけないとか、一時期ブームだった延長路線だったように感じました。シュークリームは「クロシュー」といったクロワッサンに様々なクリームを詰めたものなどヴァリエーションに富んでいるのに対し、モンブランは高級化にしか未来はないように思われたからです。結果は予想通り、シュークリームの勝ちでした。  思えば、シュークリームもモンブランも比較的手ごろに楽しめる身近な馴染み深い洋菓子だからこそこの二択に選ばれたのでしょう。シュークリームは今でも中のクリームがカスタードか生クリームかが基本でコンビニでも必ず見かけます。一方、モンブランは筆者の子供の頃はカップ型のスポンジケーキの上の真ん中にシャンティクリームを搾り、その周りに栗なのか芋なのか怪しげなきんとんを糸状に絞り出し。半分に切った栗の甘露煮を乗っけたものが定番でした。色が黄色から濃厚な茶色に変わったのは、フランスで有名なアンジェリーナのモンブランが銀座プランタンで紹介されるようになってからでしょう。スポンジではなく、メレンゲの上にクリームがたっぷり。濃厚な栗のペーストがこれでもかとそれを覆いつくしたフランスの半分のサイズでも食するとなかなかヘビーなお菓子でした。本格的なフランス菓子はとにかく甘いと実感した次第。  ですので、筆者など街の洋菓子店の昔ながらの怪しげな手作りの似非モンブランの方が懐かしく食してみたいと思います。コンビニのスイーツも多彩で美味しいのですがやはり大量生産の味なのです。それはシュークリームにしても同じ。  しかし、筆者がその二択でひっかかったのは「シュークリームかモンブランか」ではなく、「シュークリームかエクレアか」ではないかと思ったからです。おそらくエクレアはシュークリームの一ヴァージョンに過ぎないとの認識なのでしょう。パリで人気のエクレア専門店「レクレール・ド・ジェニ」が高島屋に出店したのですがあっけなく十年もせず撤退してしまいました。  しかし、筆者はシュークリームとエクレアは全くの別物と考えます。同じシュー生地であるにもかかわらず、まず形状が異なる。これも重要かもしれません。シュークリームの場合、シューが半分に割られていたり、切れ目が入れられ、クリームが詰められている場合、蓋を外して、蓋にクリームを付けて食し、残りをナイフとフォークで食する。切れ目がない場合はナイフとフォークを使って、左側から少し切り取って食し、クリームだけを食しながら、なるべく形を崩さないように食するといったマナーがあります。  それに対して、エクレアは「レクレール・ド・ジェニ」の小ぶりのエクレアもそうでしたがフィンガーフードの趣があります。筆者の遠い記憶なのですが、上諏訪に住んでいた小学校低学年の時、父がお土産で買ってきてくれたエクレアがそうでした。シューにコーティングされていたのもチョコレートではなく、コーヒーかキャラメル味でカスタードクリームの味もそれに合わせたもので小学生にも小ぶりでパクッと食べれて、二つ、三つは食べれたものです。  さらに凝った作りのものは、神戸に引っ越して、小学校最後の二年を過ごした社宅が神戸市の東のはずれで数メートル先は芦屋市という立地。父が通勤で使っていた阪神芦屋駅の近く、警察署の隣に「アンリ・シャルパンティエ」があったのです。もう、半世紀前になりますか。今でこそ全国展開でパリにも研究所を持っているほどのブランドになっていますが、当時はまさに街の洋菓子屋さんとして日常使いするケーキ屋さんだったのです。もちろん、他の店に比べると値段は高めで、併設されていた喫茶コーナーで珈琲を註文するとクロワッサンが付いてきて、さすが神戸・芦屋だなあと子供ながらに驚いたものです。  おそらく難しいフランス語が付いていたのでしょう。母が「毛虫のケーキ」と呼んでいた筆者の好物のケーキがありました。記憶が正しければ、長方形のガナッシュ系のケーキの上に小さなエクレアが乗っていたように思うのです。当時のアンリ・シャルパンティエのケーキはすべてが小ぶりでそのくせ値段は高い。しかし、味は抜群で隣にもう一軒洋菓子屋があったのですがそこで買うことはありませんでした。  神戸時代、筆者の父が銀行員だったので、取引先に有名な菓子店が多くありました。お土産の定番だった「ヒロタのシュークリーム」、きんつばで有名な「本高砂屋」、チョコレート菓子の老舗「ゴンチャロフ」などなど。ゴンチャロフなどは父に連れられて工場見学させてもらいました。酒会社も多く、菊正宗にも連れて行ってもらったのです。盆暮れだけでなく、事ある毎に付け届けがあり、ワインも送られてくることが多々ありました。母方の祖父が静岡県の酒造組合に勤め、母の弟の叔父が合同酒精に勤めていましたのでこの頃からワインには興味があったのです。  さて、ヒロタの影響かは分かりませんが、筆者はシュークリームにはカスタードクリームが似合うように思うのですが、エクレアには何といってもシャンティクリームだと思うのです。シャンティクリームとは砂糖の入った生クリームのことです。それは他ならないシューにコーティングされたチョコレートとの相性がシャンティクリームの方が良いからです。チョコパイを思い出していただければ一目瞭然。あれはバター系のクリームですがホワイトクリームで卵黄系のクリームではありません。  ですので、コンビニなどで迷うことなくエクレアを買いたいところですが、どうも中身がカスタードクリームのものばかりで何となく躊躇してしまいます。思い起こせば、子供の頃、生クリームシューを売っている菓子店ではエクレアもシャンティクリームで、シンプルながらチョコと生クリームの絶妙なハーモニーに感動したものです。お値段も手ごろな方ですし。冒頭のモンブランではありませんが、洋菓子の高級化と複雑化は決して悪いことではないと思いますが、シンプルに美味しい手頃な手作りの洋菓子こそ、今必要とされているものではないでしょうか。 今月のお薦めワイン 「イタリア赤ワインの隠れた逸品――アマローネ――」 「アマローネ デッラ ヴァルポリチェッラ クラシッコ2017年 DOCG アマローネ デッラ ヴァルポリチェッラ モンテ・サントッチョ」 13020円(税別)  この連載も三クール目が終わろうとしています。この三年間、フランスワインとイタリアワインについてシステマティックに概観して参りました。今期のクールの最後は補完的にイタリア赤ワインの隠れた逸品について紹介させていただこうと思います。イタリアワインもフランスワイン同様、二大産地、ピエモンテ州とトスカーナ州を押さえておけばほとんど事足ります。  しかし、フランスワインにシラーを主として造られるローヌ地方の「コート・ロティ」という赤の逸品がありますように、イタリアワインにも他の州でイタリアワインを代表する銘酒が造られています。  それがヴェネト州のヴェローナ県のヴァルポリチェッラで造られている「アマローネ デッラ ヴァルポリチェッラ」です。ちなみに、県都ヴェローナはシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』の舞台として有名です。  アマローネとは苦い(アマロ)に由来する苦みを意味する言葉で、イタリアワインの名称の基本、葡萄品種を表わすものとは異なる例外に当たります。ワインとしては主としてコルヴィーナ種を用いるヴァルポリチェッラの製法違いのワインとなります。  それが葡萄を収穫後平均三ヶ月ほど陰干し(アパッシメント)し、半分近くの水分を取り除き、糖度の上がった葡萄を発酵。最低二年以上の樽熟成と六ヶ月以上の瓶内熟成を経てリリースされるワインです。辛口で「力強い、ブルゴーニュワインのような魅力を引き出す」(アンダースン『イタリアワイン』)と言われています。  今回ご紹介する「モンテ・サントッチョ」の造り手、ニコラ・フェッラーリはアマローネを代表するカンティーナ「クインタレッリ」で働き、2006年、自身のワインを造るためこの「モンテ・サントッチョ」を創業。現在もクインタレッリのサポートを続けているヴァルポリチェッラへの強い探求心に溢れる醸造家です。  このクラシッコ2017年はトノーで三十ヶ月熟成。セパージュはコルヴィーナ40%、コルヴィノーネ30%、ロンディネラ25%、モリナーラ5%。濃いルビー色。干したプルーンやバルサミコの香り。後味にスパイスを感じる伝統的なアマローネの味わいを継承することに意を注いだ逸品です。  手間暇のかかる稀少性の高いワインですので少々値が張りますが、この機会に是非一度お試しいただければ幸いです。 ご紹介のワインについてのお問い合わせは株式会社AVICOまで 略歴関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE BOOOK関修公式HP

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『美食通信』 第三十五回 「セカンドワイン考――トップブランドとは別物と心得るべし――」

『美食通信』 第三十五回 「セカンドワイン考――トップブランドとは別物と心得るべし――」

 先日久しぶりにレ・フォール・ド・ラトゥールを飲む機会を得ました。1996年と良いヴィンテージの古酒でした。レ・フォール・ド・ラトゥールはご存知のようにボルドーの五大シャトーの一つ、ポイヤックのシャトー・ラトゥールのセカンドワインです。  このセカンドワインという代物。ボルドーでは今や、さして有名でないシャトーさえ何処でも造っているという状況。それどころか、サードワイン以下も造る有名シャトーは数知れず。  筆者がボルドーワインに熱を上げていた一九九〇年代後半、確かにセカンドワインは多く造られていました。しかし、同じ五大シャトーのムートン=ロートシルトがセカンドワインを造り始めたのが1993年ですのでまだ猫も杓子もという訳ではありませんでした。  また、セカンドワインはどれもこれも十把ひとからげといった具合でどれもこれも1980円か2980円といった値段で売られていました。五大シャトーのオー=ブリオンのセカンド、バーン=オー=ブリオン(現在はル・クラランス・ド・オー=ブリオン)でさえ2980円で買えたのです。  その理由は簡単で、トップブランドのワインがさほど高価でなかったからです。当時、80年代のオフヴィンテージの84年、87年などは五大シャトーでも一万円以下でデパートのワイン売り場で購入可能でした。これもオフヴィンテージですが1992年のシャトー・ラトゥールを銀座三越のセールで5000円で買ったこともありました。  筆者がボルドーワインを追求しようと決めたのは、一九九四年にアークヒルズのサントリーホールの向かいにあった「ル・マエストロ・ポール・ボキューズ・トキオ」で飲んだムートン=ロートシルトの1984年に感銘してのことでした。上記のように1984年は残念なヴィンテージだったのですが、特にこの年はメルロが良くなかったようです。そこでムートンではこの年、カベルネ・ソーヴィニヨン100%で造ったと言われています。  ご存知のように、ボルドーは複数の葡萄をブレントするのが特徴で、ブルゴーニュがピノ・ノワール100%で造るのと対照を成しています。五大シャトーが格付けされたメドックではカベルネ・ソーヴィニヨンが主でメルロ、カベルネ・フランが続き、補助品種としてマルベック、プティ・ヴェルドが用いられています。また、シャトー・ペトリュスなどを産す右岸のリブールヌのワインはメルロが主で、カベルネ・フランが続き、既述の他の品種が補助品種となっています。  ムートンはポイヤック、いや広くメドックの中でもカベルネ・ソーヴィニヨンの比率が高く80%ほどと言われていますがそれでもカベルネ・フラン、メルロ、プティ・ヴェルドを用いています。  本当に1984年のムートンがカベルネ・ソーヴィニヨン100%だったかは分かりませんが、ちょうど十年経ったところで飲み頃だったせいもあり、さらにグランメゾンだけあってワインの状態が良かったのでしょう。なかなかの美味でした。しかも9000円だったのです。高級レストランでさえ、一万円以下で五大シャトーが飲めたのです。まあ、ル・マエストロはとりわけワインの価格が良心的だったのは事実ですが。  つまり、あえてセカンドワインを飲む必要性がなかったのです。ちょっと奮発すれば五大シャトーが買えたし、レストランでも飲めたのですから。大阪の某ホテルのメインダイニングでシャトー・マルゴーの良いヴィンテージの1978年を25000円で飲んだ記憶もあります。今やシャトー・マルゴーは最新ヴィンテージで十万円ですから桁違いです。  そんな中、唯一例外だったセカンドワインがレ・フォール・ド・ラトゥールでした。実際、グランメゾンのワインリストにも普通に掲載されていました。というのは、シャトー・ラトゥールがグレイトヴィンテージの場合、三十年は寝かさないとその本領を発揮しないと言われていたからです。  もちろん、三十年物のラトゥールをグランメゾンなら揃えていましたが大変高価なものになります。さらに中堅どころのレストランでは揃えるのも大変でしょうし、価格的にも不釣り合いになります。というか、三十年も待っていられないというのが本音で、それに対して、レ・フォール・ド・ラトゥールなら半分の十五年で飲み頃になるという訳です。  レ・フォール・ド・ラトゥールはこうした事情からか1966年から造られており、ラトゥールが造られる「ランクロ」と呼ばれる区画とは別の区画の葡萄が三分の二、ランクロの葡萄が三分の一用いられ、早くから飲めるように醸造されています。  つまり、レ・フォール・ド・ラトゥールは最初から別の目的で造られたラトゥールとは別のワインと考えるべきなのです。  しかし、多くの方がセカンドワインを飲んでトップブランドを垣間見られたつもりになってしまうように思われるのです。これは危険で、セカンドワインからトップブランドを予測するのは専門家でさえ至難の業と言えましょう。  サン=ジュリアンの第二級、シャトー・レオヴィル=ラス=カーズのセカンドワインだったクロ・デュ・マルキは別の畑で造られていますので、現在別ブランドして販売され、ラス=カーズの若葡萄で造られているル・プティ・リヨンをセカンドワインとしています。  トップブランドが桁違いの高価なワインになってしまった現在、セカンドワインなら何とかというケースもあるかと思います。その場合、やはり別物であるという認識を持って飲まれることをお勧めします。そして、出来る限り同じ価格で買える格下のシャトーやブルジョワ級のトップブランドを買われることをお勧めします。トップブランドにこそ、そのシャトーの真髄が、そのアペラシオンの特徴が最良の形で表現されているのですから。  レ・フォール・ド・ラトゥールの1996年はまだまだ寝かせることも出来そうな見事な出来でした。果実味が生かされ、その熟成感を楽しむタイプのワインです。ラトゥールはもっとタイトでタンニックなワインで古武士のような凛とした佇まいが素晴らしい。  レ・フォール・ド・ラトゥールほどその独自の存在感を有するセカンドワインは他にない。筆者はそう考えるのです。  今月のお薦めワイン 「トスカーナのボルドータイプのワイン――ボルゲリ――」 「フェルチアイノ ロッソ 2018年 DOC ボルゲリ ジョヴァンニ・キアッピーニ」 6900円(税別)   ボルドーにメドックとリブールヌの二つのタイプのワインがあるように、イタリアワインのボルドーに比較されるトスカーナ地方のワインもまた、二つのタイプに分けることが出来ます。それはキャンティを生み出すサンジョヴェーゼ種とその亜種(ブルネッロ種など)から成るワイン群とまさにボルドースタイルのワインを造るべく、カベルネ・ソーヴィニヨンやメルロを導入したワイン群。  このボルドースタイルのワインのパイオニアとなったのがサッシアイアです。1944年、シャトー・ラフィット=ロートシルトのカベルネ・ソーヴィニヨンを植えたのが始まりのようです。当初は規格外でしたのでヴィーノ・ダ・タヴォーラ扱いでしたが高額でしたので「スーパータスカン」と呼ばれていました。他にもオルネライアなど有名なワインが後続し、1994年にはDOCボルゲリを名乗ることが出来るようになり、サッシアイアは単独でDOCボルゲリ・サッシアイアを獲得。トスカーナの新たなスタイルのワインとしてその一翼を担うようになっています。  今回ご紹介するのはジョアンニ・ピアッキーニが造るボルゲリ。1954年にマルケ州から移り住んだピアッキーニ家は1995年までは野菜とオリーブを作っていましたが、この年より葡萄を栽培。2000年よりワインを販売しています。畑はオルネライアの隣と良好な立地。 「フェルチアイノ」はカベルネ・ソーヴィニヨン50%、メルロ40%、サンジョヴェーゼ10%というセパージュ。ボルゲリのボルドースタイルワインには補助品種として、サンジョヴェーゼやシラーを用いるカンティーナが多いです。  ボルドーよりはやや赤みがかった濃いルビー色。香りはボルドーに比べるとスパイシーで果実の甘い香りが強い。複雑な味わいはボリューミーでボルドーよりは濃厚でアフターに甘やかさが残る感じ。熟成しても美味しいが早くからも飲めるタイプ。  この機会にボルドーのようでボルドーでないボルゲリ独特の美味しさを是非ご堪能下さい。 略歴関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE BOOOK関修公式HP

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『美食通信』第三十四回 「ディジェスティフのすすめ――グラッパなどいかが――」

『美食通信』第三十四回 「ディジェスティフのすすめ――グラッパなどいかが――」

     フランス料理などワインを飲みながら食する料理において、アペリティフ即ち食前酒を嗜む習慣は日本でも定着してきたように思われます。しかも、昨今それらはシャンパーニュを理想とするスパークリングワインというのが定番です。筆者がフランス料理を始めた半世紀近く前はアペリティフと言えば、マティーニなどのショートカクテルの強いお酒、あるいはスペインの酒精強化ワインのシェリー、クレーム・ド・カシスを白ワインで割ったキールなどでした。シャンパーニュをグラスで供することは稀で、ドゥミなりボトルで頼むのがマナーでした。おそらく、グラスでのサーヴィスは炭酸が抜けてしまうのが嫌だったのでしょう。しかし、ペアリングのように皆が一時にブテイユを空けてくれるなら、シャンパーニュを供するのも悪くありません。また、シャンパーニュ愛好家が増えたこともあるかと思います。さらにソムリエは元来お酒のサーヴィスの一環でしたので、バーテンダーが取る資格という意味合いもあります。ソムリエという地位が一般に認知される過程で、バーテンダーの果たした役割は大きい。アペリティフにおけるカクテルからシャンパーニュへの移行はその歴史的過程を表わしているとも言えましょう。  しかし、フランス料理におけるお酒の飲み方にはさらにディジェスティフ即ち食後酒があります。食前酒があるのですから食後酒があって当たり前といえば当たり前。食中酒がワインということになります。しかし、どうもこちらの方はあまり嗜まれる方がいらっしゃらないのが現状です。まあ、日本人は西洋人に比べアルコールに弱い方が多いので、ワインまでで精一杯というのもあるかと思います。しかし最近、筆者はディジェスティフが普及しないのは飲む場所の問題ではないかと思うようになってきました。そう、食事が終わったテーブルで食後酒を飲むのはあまり好ましいことではないのではないか、と。シャンパーニュから始まり、ワインを飲みながら何皿もの料理を平らげ、デセールを食し、エスプレッソを飲んで一息ついている席でさらに何かお酒を飲みたくなるでしょうか。  実際、本当のグランメゾンにはまずウエイティングバーがあり、そこでアペリティフを飲んだ後、食事のテーブルへと移動します。さらに食事が済んだあと、さらに場所を変えてデセールやシガーのサーヴィスがあったのです。部屋が三つあった訳です。筆者がパリで訪れたグランメゾンでもそこまでやっていた店はありませんでした。むしろ、神戸にあった「アラン・シャペル」はまさに三か所移動したのを覚えています。顧客の末席に入れていただいていた「ル・マエストロ・ポール・ボキューズ・トキオ」は「バー・マエストロ」を併設し、バーとレストランを往復する形でした。  今やそのようなレストランは皆無に近いでしょうから、どうすれば良いのか。そう、日本人得意の「河岸を変える」、まさにレストランからバーへと移動すれば良いのではないでしょうか。そうすれば、色々なお酒を食後酒として楽しめる。というのも、筆者はディジェスティフにブランデー(コニャックとアルマニャック)やマールと言ったフランスの蒸留酒よりイタリアのグラッパが飲みたくなるからです。もちろん、フレンチの店でもグラッパを置いている所もありますが、やはりカテゴリーミステイクな感じです。バーに行けば、コニャックであれ、グラッパであれ、好きなものを堂々と頼んで楽しむことができます。  筆者にそれを気づかせてくれたのは、渋谷の東急文化村の「カフェ・ドゥマゴ」で日参するかのごとくディナーで持ち込みのワインを開けていた時のことでした。顧客は持ち込み料無料でしたので、筆者もその一人に認めていただき、人と会うのをドゥマゴにしていたのです。その頃、大変お世話になった渋谷の画廊のマダムがいらして、マダムとご一緒するときはまず、マダム行きつけの駅のすぐ近くのショットバーで待ち合わせをし、ドゥマゴで食事した後、再びそのバーに戻って、また一杯といったのが常でした。バーの店主はフレンチ出身でワインにも詳しく、筆者はそこでグラッパ・サッシカイアに出会いました。コニャックも何種類も置いていて、それらもいただいたのですが、サッシカイアのグラッパの方が気に入りました。グラッパはワインの搾りかすを発酵・蒸留したもので、「粕取りブランデー」と言われるものに当たります。フランスではマール、イタリアがグラッパです。サッシカイアはトスカーナ地方、ボルゲリ地区で造られるボルドースタイルの「スーパートスカン」と呼ばれるワインの元祖として高名な銘柄でそのワインの搾りかすから造られたグラッパなのです。  グラッパには樽をかけた茶色のものと無色透明なものがあります。マールも同様です。筆者はやはり樽がけしたものの方が好みです。しかも、マールよりグラッパの揮発性の高い香り高さ、ちょっと捻った感じの香りが好きです。味わいにもサッシカイアのグラッパなどには甘やかさがあり、マールにはそれがありません。まさに好みの問題かと思いますが、それを選べるのがバーの良いところです。  先日、久しぶりに渋谷に出かけ、ちょくちょく伺うビストロで食事しました。時間が早かったので、食後に駅前から文化村近くに移転した件のショットバーに出かけました。店主も健在でグラッパをいただきました。来年三十周年とのことです。筆者が最初マダムに連れられて伺ったのが一九九六年だったと思いますので開店二年目だったのか、と。文化村も再開発で休館。ドゥマゴも閉店してしまいました。時の流れを感じます。サッシカイアのグラッパも高価になってしまったので銘柄を変えたそうですが、やはり茶色の美味しいグラッパでした。  また、この原稿を書いている少し前、静岡でも「カワサキ」で食事した後、近くの「バー・コード」でグラッパをいただきました。こちらは元々梯子酒で、ルイ・ラトゥールのヴォーヌ=ロマネをボトルでお安く飲ませていただいたので、折角バーに来たこともあり、もう少しお金を使わせていただかないと申し訳ないと思い、グラッパをお願いしたら、二種類珍しいものを出して下さいました。ご一緒したNシェフはマールを頼まれましたが、やはりグラッパの方が自分は好みで、二種類のうち造り手が亡くなり今は造られていないというグラッパの方が俄然自分好みでした。したたか酔ってしまっていて、銘柄をメモするか写メを撮ってくるのを忘れてしまったのを後悔しています。  食事のあと、バーに河岸を変えて、好みのディジェスティフをいただく。これまた、贅沢なひと時ではありませんか。その際、グラッパを選択肢の一つに加えていただければ幸いです。 今月のお薦めワイン 「ボルドーの双璧・リブールヌのワイン―メルロが主役――」 「シャトー・フォンプレガード 2017年 AC サンテミリオン グランクリュクラッセ」 7200円(税別)  ブルゴーニュにニュイとボーヌがあるように、ボルドーにも代表的な二つのタイプのワインが存在します。それらはカベルネ・ソーヴィニヨンを主たる葡萄とするメドックやグラーヴのいわゆる「左岸」のワインとメルロを主とする「右岸」のリブールヌのワインです。 メドックは格付けされ、五大シャトーで有名です。他方、リブールヌはボルドーで最も高価なワインと目されるシャトー・ペトリュスがポムロールにあります。  リブールヌのワインで押さえておくべきアペラシオンはまず、サン=テミリオン。1955年に開始され、度々改定を行なっています。メドックの格付けが1855年のままであるのとは対照的。改定の度、論争を巻き起こし、2022年には初回以来ツートップだったシャトー・オーゾンヌとシャトー・シュヴァル=ブランが脱退し、代わりにシャトー・パヴィとシャトー・フィジャックがツートップになりました。ちなみに、ACサン=テミリオンを名乗れるワインはサン=テミリオン市の他に古層(ジュラード)と呼ばれる八つの村が含まれます。  続いて、ペトリュスを産むポムロール。こちらは意識的に格付けを行なわないようにしています。ペトリュスを最上にラ・コンセイヤント、レヴァンジル、ラフルール、トロタノワ、ヴュー=シャトー・セルタンを含む十ほどのシャトーがトップ・シャトーと言われています。  両アペラシオンには共に衛星地区(サテライト)と呼ばれるそれに準じるワインを生み出すアペラシオンがあります。サン=テミリオンにはサン=ジョルジュ、モンターニュ、リュサック、ピュイスガンの四つの衛星地区があり、ポムロールにはラランド=ド=ポムロールがあります。  あと、フロンサックとカノン=フロンサック。一時期、ペトリュスを所有するJ.P.ムエックス社が多くのシャトーを所有し、その可能性に挑戦していました。  上記三大地区のワインを探されると良いでしょう。また、近年注目されているのはサン=テミリオンに接するカスティヨンです。ワイン高騰の折、手頃な価格で上質のワインが楽しめるアペラシオンです。  今回はサン=テミリオンのグランクリュクラッセに格付けされているシャトー・フォンプレガードを紹介させていただきます。プルミエBのラ・ガフリエールの西隣りと恵まれた立地。2004年以来アメリカの実業家夫妻が所有し、2017年はメルロ95%、カベルネ・フラン5%とメルロの醍醐味を楽しめるワインです。2013年にはエコセールの認証を受けています。また、ミシェル・ロランがコンサルタントと今風のサン=テミリオンをこの機会に是非お試しあれ。 ご紹介のワインについてのお問い合わせは株式会社AVICOまで 略歴関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE BOOOK関修公式HP

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『美食通信』第三十三回 「ミネラルウォーター考――やっぱり硬水が好き――」

『美食通信』第三十三回 「ミネラルウォーター考――やっぱり硬水が好き――」

 いつの頃からか日本人も常にミネラルウォーターを飲むようになりました。特に夏は冷たいものが飲みたくなりますので、筆者などはサンペレグリノを必ず購入します。ただし、水をそのまま飲むのが苦手な筆者は液体の濃縮珈琲をサンペレグリノで割って飲んでいるのですが。  筆者が子供の頃はミネラルウォーターなど誰も飲んでいませんでした。ミネラルウォーターと言えば、見かけるのは瓶に入った「富士ミネラルウォーター」くらいで何故水を売っているのだろうと不思議に思ったくらいです。そのうち、浄水器なるものをどの家庭でも設置するようになりました。蛇口に取り付けるタイプとシンクの脇に置かれた装置に水を通してその装置から出てくる水を飲むタイプがあったと記憶しています。水道水が美味しくなくなったのとアパートなど集合住宅は屋上にあるタンクから水が供給されますので錆などが混じって濾過する必要が生じるようになったからでしょう。それでもまだ基本水道水を用いていた訳であって、ミネラルウォーターは普及していませんでした。駅や学校など公共施設には冷たい水が飲める機械が設置されていましたし、新幹線にも設置されていました。  筆者がミネラルウォーターを常飲するのを意識するようになったのは、やはりパリに海外研究に出かけることになったからでしょう。フランスの水道水は飲んでも大丈夫なのですが石灰分が多いと言われ、ミネラルウォーターを飲むようにしていました。ただ、気軽なビストロなどでは「キャラフ・ド・ロ」といって水道水を瓶などに入れて無料で出してくれますし、カフェのエスプレッソにはチェイサーの水が付いてきます。「ガズーズ(炭酸)、ノンガズーズ(無炭酸)」と聞かれるのは高級店でこれはもちろん有料です。  昨今、日本のグランメゾンもミネラルウォーターオンリーの店が増えているようです。いつぞやメディア露出で有名だったシェフが水を有料にしていて、それを批判した客に暴言めいた反論をし、失脚したこともありました。彼の店が粉うことなきグランメゾンだったら何の問題もなかったのでしょうが。  パリで驚いたのはスーパーなどでミネラルウォーターを買うと、冷やしているものと冷やされていないものでは値段が違っていたことです。フランスでは珍しい軟水のヴォルヴィックを飲んでいたのですが冷えていると5フラン(約100円)、冷えていないのは1フラン(約20円)だったと記憶しています。  この時、筆者の恩師の故シェレール教授が一緒に食事すると必ずサンペレグリノを所望されるのに遭遇します。フランスの炭酸系ではペリエが有名ですが確かにちょっと埃臭いというか独特の風味があり、それに比べるとイタリア製ながらサンペレグリノは本当に美味しい。筆者もファンになりました。フランス人の炭酸系の定番はバドワで値段も安かったように思います。今では日本のグランメゾンでガズーズは何があるのですかと尋ねるとバドワが選択肢に入っている場合があり、筆者などは驚いてしまいます。というのは、少なくともパリではバドワは庶民の水であって、グランメゾンで出しているところなど皆無だったからです。  それから日本に戻ってからもサンペレグリノを好んで飲むようになりました。最初は瓶で買っていたのですがかさばるのと値段も高いのでペットボトルに切り替えました。ただ、ペットボトルはやはり輸送の過程で炭酸が抜けてしまうのか、圧が弱いように思われます。先日テレビで某タレントさんが同様の発言をされていて、やっぱりと思った次第です。そこで現在はコスト的にはやや高くつくのですが缶のサンペレグリノを購入しています。こちらは密閉されていますので、開けたての爽やかな炭酸の刺激にはたまらないものがあります。また、硬度が700以上あり、ペリエの倍くらいあります。ちなみに、無炭酸ですがフランスを代表するヴィッテル、エヴィアンも硬度はペリエと同じ300前後です。痩せる水として有名なコントレックスになると硬度は1500を超えて、飲むと確かに鈍く重い感じがします。炭酸系のミネラルウォーターの爽やかさは炭酸が弾ける感覚だけでなく、鉱物の金属的なテイストにあると言えましょう。  ちなみに缶のサンペレグリノは330mlです。缶の問題は飲み切れない場合。そこで筆者は330mlのペットボトルのエヴィアンを買って飲んでしまい、空のペットボトルにサンペレグリノの残りを入れておくようにしています。  またその後、ソウルや台北にも何度か出かけることがありましたが、どちらもミネラルウォーターを飲むことが推奨されています。これらはパリとは異なり衛生的な問題らしいのですが、コンビニでご当地ミネラルウォーターを飲もうか、エヴィアンなど外国製にしようか迷ってしまったりします。ただ、炭酸系はないようで、空港やホテルのラウンジでも無炭酸はご当地ものでも炭酸はほぼペリエでした。  思えば今、日本のホテルではビジネスホテルクラスでもミネラルウォーターが部屋に置いてあるのではないでしょうか。パリに最初出かけた際、ホテルに着いてすぐまずは水を買いに出かけたのをよく覚えています。スーパーもコンビニもなく、最寄りのメトロの駅近くのキオスクで買うことが出来てホッとしたものです。キオスクはソウルでもよく見かけました。もちろん、ソウルや台北のホテルの部屋にもミネラルウォーターは必ずおいてありますので探す心配はありません。というか、両都市ともコンビニが日本以上に点在していますので何の不便もないのです。ただ、レストランではミネラルウォーターを註文する必要が生じます。また、庶民的な飲食店では湯冷ましのお水を出してくれるかと思います。  振り返るといつの間にか、自宅でもミネラルウォーターを飲むようになっていました。冷蔵庫には2Lのペットボトルが常備され、母と一緒に近所のスーパーに水を買いに出かけたものです。筆者は日本の軟水のミネラルウォーターが余り好きではありません。両親も亡くなり、一人暮らしになり、2Lのペットボトルは不要になりました。さて、沸かして珈琲で飲むしか用途の無い無炭酸のミネラルウォーターをどうしたものか。水道水も試してみましたがやはり美味しくない。日本の軟水は無味乾燥な感じだし。そして行きついたのがパンナでした。パンナもまたイタリア、しかもサンペレグリノと同じトスカーナ地方のミネラルウォーター。しかも、現在はサンペレグリノ社の傘下にあります。飲んでみて柔らかく、しかも味わいがあります。珈琲を入れても美味しい。硬度は100を少し超えるくらい。日本では100以下を軟水と呼ぶそうですから、ぎりぎり硬水といったところでしょうか。これがいい塩梅で。  ワインはフランスですが、水はイタリア。それが筆者の好みです。 今月のお薦めワイン 「ピエモンテの伏兵――バルベーラとドルチェット――」 「バルベーラ・ダルバ スーペリオーレ 『ヴォルプタ』 2018年 DOC ボスコ・アゴスティーノ」 5100円(税別)   イタリアワインでブルゴーニュに相当するのがピエモンテ州のワインであることはすでに言及してあります。ブルゴーニュワイン、とりわけ素晴らしい赤ワインを産する「コート・ドール」には「ニュイ」と「ボーヌ」という二つのタイプのあることを前回書かせていただきました。そして、ピエモンテのワインにも二つあるいは三つのタイプのあることを今回知っていただきたく思います。  ブルゴーニュとの違いはブルゴーニュではあくまでピノ・ノワールという葡萄のみが用いられているのに対し、ピエモンテでは「バローロ」、「バルバレスコ」といったワインを造り出す「ネッビオーロ」種だけではなく、「バルベーラ」と「ドルチェット」という別の葡萄品種で素晴らしいワインが造られているということです。  また、ブルゴーニュに「コート・ドール」という優れた地区があるように、ピエモンテにも「バローロ」、「バルバレスコ」を生み出す「アルバ地区」が「コート・ドール」に該当すると言えましょう。従って、探すべきは「バルべーラ・ダルバ」、「ドルチェット・ダルバ」という名のワインとなります。  バルベーラとドルチェットの違いと言えば、バルベーラの方が長熟用のワインが造られ、ドルチェットは早飲みタイプのワインが造られます。というのも、「バルベーラ・ダルバ」の多くは小さいオーク樽で熟成させ、「いまなおバローロやバルバレスコの蔭に隠れているとはいえ、その格ではもはや後れを取るものではない」とアンダースンは『イタリアワイン』(早川書房)で評しています。他方、「ドルチェト・ダルバ」は「フルーティーで生き生きしている。その最良のものには打ち勝ち難い魅力がある」とアンダースン。  というわけで、今回は「バルベーラ・ダルバ」を紹介させていただきます。造り手はボスコ・アゴスティーノ。父ピエトロ・ボスコが設立した4haほどの小さなワイナリーを父亡き後継いだ子息のアゴスティーノ氏によるカンティーナ。自然農法での丁寧な葡萄栽培、徹底した醸造管理での高品質のワインは高く評価されています。バリックで14~15ヶ月熟成させたワインはしっかりしたボディで様々な味わいが時と共に次々と現われる実に魅力的な出来とのこと。この機会に是非お試しあれ。 ご紹介のワインについてのお問い合わせは株式会社AVICOまで  略歴関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE BOOOK関修公式HP

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『美食通信』第三十二回「ワインの飲み頃――絶妙のタイミングなどあるのだろうか?――」

『美食通信』第三十二回「ワインの飲み頃――絶妙のタイミングなどあるのだろうか?――」

 この連載の主宰でもあるThe Cloakroom店主の島田さんが銀座のサロンで行なわれている「銀座の仕立て屋落語会」。七月は三遊亭わん丈さんが高座を務められました。わん丈さんはこの度、真打への昇進が決まり、この落語会は優秀な二ツ目さんを応援するという主旨があるそうで真打になられると卒業とのこと。この落語会での高座は今回を含め残すところ三回だそうで会場は満席でした。筆者はなかなか日程が合わず、他のお二人、林家たま平さん、春風亭与いちさんの高座は拝聴したことがあったのですが、わん丈さんの高座は初めてでその人気の髙さに驚いた次第です。  終演後、真打への昇進のお祝いとして島田さんからスーツのプレゼントがあるとのことでその採寸が公開形式で行われました。あと二回の高座の後もスーツ完成へのイヴェントがあるそうです。こうした噺以外の余興を「大喜利」というのだと世話役の山本益博氏から解説がありました。料理評論家として高名な山本氏ですがその出発点は落語評論であり、まさに「二刀流」のご活躍をなされておられます。  また、「大喜利」も終わったその後にお祝いの会食が山本氏お薦めの日本橋のイタリアン「ファルスィ・ラルゴ」で行われました。総勢十数名、貸し切りでのディナー。オーストラリア産の旬の黒トリュフを楽しむ趣向でした。ワインの選定を筆者はお手伝いさせていただくことになり、乾杯にはシャンパーニュと同じ葡萄品種、そして瓶内二次発酵というまったく同じ製法で造られているロンバルディア州の「フランチャコルタ」を用意していただきました。シャルドネ100%で造られたコンタディ・カスタルディのヴィンテージ物「サテン 2017年」が供されました。白は店が用意されたフリフリ=ヴェネツィア・ジューリア州の五種類の白葡萄をブレンドした「ザモ・ビアンコ 2021年」を。どちらも良い出来でした。  問題は赤ワイン。筆者は手土産に一本持参した方が良いかと島田さんに尋ねたところ、是非持参くださいとのことでしたのでブルゴーニュの「ニュイ=サン=ジョルジュ ラ・プティット・シャルモット 2020年」、造り手はピエール・ティベールを持参しました。開けるにはまだ早いのは分かっていましたが、自宅から持参して持ち歩くことを考えると澱の出ていない若いワインが適していると判断した次第です。ブルゴーニュの澱はボルドーと異なり細かいので一度舞ってしまうとなかなか沈殿せず、サーヴした際ざらつきとえぐみが出てしまい折角のワインが残念なことになりかねないからです。  また過日、宇都宮の「オトワレストラン」を訪れた際、リストにあった「ヴォーヌ=ロマネ オー・シャン・ペルドリ 2020年」、造り手はオーディフレッドを註文し飲みましたが実に良い出来でした。グランメゾンのワインリストにも2020年はリストアップされており、確かにまだ早いとは思われるもののこれはこれでそれなりに飲めると判断したこともあり、2020年のニュイ=サン=ジョルジュを持参したのでした。  さて、会場に着いて赤ワインについて島田さんに尋ねると自分の持参したワインと島田さんが持参されたワインが供されるとのこと。で、島田さんは何を持参されたのかというと、やはりブルゴーニュで「ヴォルネ=サントノ プルミエクリュ 1992年」、造り手はロベール・アンポーでした。アンポー家は相続でムルソーにドメーヌを構えるロベール・アンポーとモンテリを拠点とするポティネ・アンポーに分割されました。が、どちらのドメーヌもカーヴに古いヴィンテージを多く貯蔵しています。また、島田さんが持参されたヴォルネ=サントノは名前こそヴォルネですが畑はムルソー村にあります。  それにしても偶然とはいえ、同じブルゴーニュでも対照的なワインが並んだものです。どちらも「コート・ドール」、ブルゴーニュで最高のワインを産する地区ですが、ニュイ=サン=ジョルジュはロマネ=コンティを筆頭に赤ワインが主の北側の「コート・ド・ニュイ」のワインであるの対し、ヴォルネはモンラッシェやムルソーといった最上の白ワインを産する南側の「コート・ド・ボーヌ」での代表的赤ワインの銘柄ということ。さらに、とりわけヴィンテージが若すぎると思われる2020年とすでに古酒の域に入っている1992年という対照的なものになってしまいました。  ここで問題になるのは飲み頃とはどのくらい経ったワインのことなのだろうか、ということです。もちろん、ボルドーとブルゴーニュでは異なるでしょうし、ヴィンテージの良し悪しにもよるでしょう。さらには個人の好みの問題もあります。  筆者がパリに赴いていた四半世紀前、ボルドーワインに関してある程度のレヴェルのワインは七~八年以降が飲み頃と言われていました。しかし、実際パリのランチでワインを頼もうとすると皆、五年未満の固いワインを好んで開けているのに驚きました。価格的なものあるかと思いますが明らかに好みの問題と分かりました。  ブルゴーニュに至っては、とりわけ二十一世紀に入ってから「早くから飲めて、寝かしても美味しい」というのが当たり前のようになっているようです。本当にそんなこと可能なのか、と正直半信半疑なのですが、早く開けた際の果実味の出し方に注意を払う造り手が多いことは事実です。筆者には上記のオーディフレッドのヴォーヌ=ロマネに代表される凝縮した果実味を追求するタイプと透明感のある軽やかなタイプのものに分かれるように思われます。ただし、どちらも以前流行った樽をかけた濃厚なアルコール度数の高いワインとは一線を画していることに留意する必要があるでしょう。今回持参したティベールはオーディフレッドに通ずる旨味がありました。ニュイ=サン=ジョルジュらしく酸味に特徴があるのも良かったです。  一方、島田さんの持参されたヴォルネは造り手が長熟用を意識して造っていますのでこれまた充分楽しめるものでした。ただ、1992年というヴィンテージがオフヴィンテージでしたのでピークは過ぎていたと言わざるを得ません。その分、古酒としての熟成感やミネラル分の味わいを楽しむことが出来ました。また、多人数での会食用でしたので、一本のワインを開けて飲み進めるスタイルではなく、メインの料理に合わせて抜栓し、グラスですぐ飲み干すことになります。従って、デリケートなワインでも酸化する前に美味しく飲み切れるという訳です。  ボルドーワインにぞっこんだった時代の筆者はとにかく飲み頃にこだわっていました。それでも七~八年から十数年というのが相場で二十年を超えれば古酒として嗜むべきだと認識していました。それがブルゴーニュを飲むようになって思ったのは、飲み頃は気にせず、自分が飲みたい村(アぺラシオン)や造り手を財布と相談しながら決めるのが最良ということです。  コントラストの効いたブルゴーニュの赤を楽しんでいただき、ドルチェにある種メインの黒トリュフのパンナコッタを皆さん堪能され、わん丈さんのお祝いの饗宴も大団円となったのでした。わん丈さんのますますのご活躍を心よりお祈り申し上げます。 今月のお薦めワイン 「ブルゴーニュ赤のもう一つのスタイル、ボーヌのワイン」 「ボーヌ プルミエクリュ サン・ヴィーニュ 2017年 AC ボーヌ プルミエクリュ ジェーン・エア」 8800円(税別) すでにブルゴーニュの赤に関しては「コート・ドール」の北側「コート・ド・ニュイ」を紹介させていただきました。今回は南側の「コート・ド・ボーヌ」の赤ワインをお薦めしたいと思います。ブルゴーニュの赤ワインはあと、ボーヌの南側即ち「コート・ドール」の南側に「コート・シャロネーズ」も優れたワインを産しますが、やはり「コート・ド・ボーヌ」のワインがニュイと双璧と考えられます。 「コート・ド・ボーヌ」はムルソー、モンラッシェといったブルゴーニュ最高峰の白ワインを産する地区ですが赤ワインにも魅力的なアペラシオンが複数存在します。グランクリュこそ「コルトン」しかありませんが、「ヴォルネ」と「ポマール」という赤ワインだけを産するボーヌの赤代表するアペラシオンのワインはニュイのグランヴァンに匹敵する逸品揃いです。タンニックで野趣を感じる「ポマール」、繊細でエレガントな格調高い「ヴォルネ」とその性格も対照的で興味深いものがあります(あと、ブラニィという小さなアペラシオンも赤ワインのみ)。 他の「コート・ド・ボーヌ」の村はすべて赤ワインと白ワインの両方を造っています。その数は多く、「ラドワ」、「アロース・コルトン」、「ペルナン=ヴェルジュレス」、「サヴィニ=レ=ボーヌ」、「ショレ=レ=ボーヌ」、「ボーヌ」、「モンテリ」、「オーセイ=デュレス」、「ムルソー」、「ピュリニィ=モンラッシェ」、「シャサーニュ=モンラッシェ」、「サン=トーバン」、「サントネ」、「マランジュ」となります。 その中でも筆者は中庸の美を感じる「ボーヌ」のワインをお薦めしたいと思います。ボーヌの街は「ブルゴーニュの車軸」と呼ばれ、多くのネゴシアンが拠点を置いています。また、「オスピス・ド・ボーヌ」という旧施療院後の博物館があり、寄進されたワインが毎年競売にかけられています。 今回紹介させていただくのは新進気鋭の女性醸造家、ジェーン・エア氏が造ったボーヌ・プルミエクリュのワイン。メルボルン近郊で生まれたジェーン氏は1998年よりブルゴーニュでキャリアをスタート。2011年にワイン造りを実現させます。近年注目を集めている農家から葡萄を買い付け、自ら醸造する「ミクロネゴス」の代表格の一人として高く評価されています。「サン・ヴィーニュ」の畑は石灰質を含んだ軽めの砂質で、しなやかで果実味を生かした繊細なワインを産します。 ミクロと呼ばれるだけにその生産量はごく少なく、ほどなく売り切れること間違いなし。この機会に是非一度お試しあれ。 ご紹介のワインについてのお問い合わせは株式会社AVICOまで  略歴関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE BOOOK関修公式HP

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『美食通信』 第三十一回 「ホテルの朝食――理想の朝食にはなかなか出会えない――」

『美食通信』 第三十一回 「ホテルの朝食――理想の朝食にはなかなか出会えない――」

 先日、宇都宮市にある「オトワレストラン」に出かける機会を得ました。同じ栃木県でも日光や那須のようなリゾート地ではなく、ルレ・エ・シャトーの会員でもある「オトワレストラン」ですがオーベルジュのような宿泊施設を有していませんので、駅前か繁華街のホテルに宿泊するしかありません。結局、ビジネスホテルは避け、シティーホテルの「宇都宮東武ホテルグランデ」のローズスイートに宿泊することにしました。このところ地方に出かける際は二食付きのオーベルジュ系か、静岡市の「ビル泊」など食事なしか、の宿泊施設に泊まっていますので珍しく朝食付きのホテル宿泊となりました。こうなるといつも気になるのが「ホテルの朝食」というやつです。  オーベルジュ系であれば、朝食もそれなりに凝ったものが出てきます。ただ、やはり過剰というか朝からそんなに食べれるのかといったゴージャスぶりで元々少食の筆者など残さざるを得なくなり、いつも申し訳なく思うことしきり。結局、あれこれ出過ぎで余り印象に残らないものになってしまうのです。例外だったのは、長野県松本市にある浅間温泉の「松本本箱」に泊まった際のメインダイニング「三六七」での朝食に出たクロワッサンくらいか、と。ここの朝食も地産地消でソーセージだの野菜だの発酵食品だの色々出たのですが、「松本十帖」として同じ敷地にあるもう一つのホテル「小柳」の一階にある「アルプスベーカリー」から焼き立てのパンが出されたのでした。その中にクロワッサンがあったのですが、これは近年稀にみる傑作で、触るだけで手がバターでテカテカになり、噛みしめればジワッとバターが滲み出してくる。その塩味がまた絶妙で、とかく甘くなりがちな生地を菓子でなく、パンとしての存在感を上手に表現している。今でも、あのクロワッサンだけは食べたいと切に思うのです。  ゴージャスな朝食と言えば、「世界一の朝食」を謳っている神戸市にある「北野ホテル」の朝食も宿泊した際、いただきました。これは非業の死を遂げたベルナール・ロワゾーに師事した料理長がその再現を許された「ラ・コート・ドール」の朝食だそうです。朝から生ハムだのとにかく品数が多すぎて、ブランチより量が多いのではと正直引いてしまいました。後述しますようにパリの朝はシンプルなコンチネンタル式で、およそ正反対。ディナーではないのですから、高級食材や豪勢さが「美味」という安直な発想は「場違い」としか思えませんでした。  今回の「宇都宮東武ホテルグランデ」の朝食の目玉は何といっても「餃子」でした。この手のホテルの朝食はバイキングが定番で、「ビュッフェウォーマー」と呼ばれる保温器に入れられた料理はどれも乾きがちで、最良の状態を期待することは出来ません。「餃子」は数種類あり、やはり皮が乾いて固くなってしまっていました。ただ、生まれて初めて宇都宮餃子なるものを食しました。味の方もなかなか個性的でそれなりに楽しむことが出来ました。ただ、驚いたことに卵料理がなかったのです。ご飯用の生卵はあったようですが、目玉焼きやスクランブルエッグの類が皆無。いくら卵不足で値段が高騰しているとは言え、役者不足過ぎます。それを補充するほど料理の品数がある訳でもなく、正直ガッカリでした。  やはり、バイキングでも卵料理に関してはオーダーで作ってくれるホテルの朝食が望ましいと思います。ただ、これも筆者はとんでもない目にあったことがあります。大阪の一流ホテルでのこと。卵料理は目玉焼き、スクランブルなどその火の入れ具合をオーダーして、調理場で作られたものがテーブルに出される方式でした。筆者はスクランブルエッグを注文。出てきた料理は火の通し方も良く、半熟で美味しそうでした。ところが一口食べた途端、塩辛い。明らかに塩加減を間違えたのです。すぐにサーヴィスを呼び、塩辛くて食べられたものではないと皿を突っ返しました。しばらくして、運ばれてきた皿を見て愕然としました。明らかに量が倍くらいになっていたのです。嫌な予感がしました。案の定、相変わらず塩辛いのです。おそらく返却されたスクランブルエッグをフライパンに戻し、さらに卵液を入れ再生しようとしたのでしょう。塩の入れ過ぎは再生不可能、作り直すしかないということをこの料理人は知らないのでしょうか。呆れ返り、ただちに「作り直し」をサーヴィスに命じました。名だたる一流ホテルでこの体です。個別にするとこうしたミスが生じます。その点、「ビュッフェウォーマー」であれば、あの容器全体が塩辛いなどという凡ミスはさすがにないかと思われます。ただし、スクランブルエッグなど炒り卵になってしまいますが。  結論から申し上げれば、筆者にとって一番印象に残っている朝食はパリのホテルの部屋で食べたコンチネンタル式のものでした。いわゆる朝食室でのバイキング式はある程度大きなホテル。筆者の泊まった部屋数の少ないデザイナーズホテルなど、朝食はルームサーヴィスが当たり前。朝起きると専用の電話番号に電話をします。質問は二つ。ジュースは何にするか。そして、コーヒーかカフェオレか(紅茶はティーバッグと白湯が来ます)。この二問に答えるとしばらくして部屋のチャイムが鳴ることに。チップを渡して、朝食を中に。内容は筆者の場合、生搾りオレンジジュース、カフェオレ。そしてパンの盛り合わせ、以上。これがコンチネンタルの朝食です。もちろん、パンは数種類。バターやジャムも付いて来ます。  炭水化物嫌いの筆者としては異例の事態ですが、その後、昼も夜もフランス料理にワインでその際パンは食しませんから、朝はシンプルなパンだけがかえってサッパリしていて、これから続く怒涛の脂肪やたんぱく質への絶妙の助走になっていたように思われます。また、別に高級なパンではなさそうなのですが、これが実に美味しいのです。先ほどのクロワッサンではありませんが、東京の高級なブランジュリーのクロワッサンほど余分な味がする。バターと塩味だけであとは生地そのものの味だけで良いのに、だいたい妙な甘さがあるのです。バケット、クロワッサン、デニッシュなどついつい全部食べてしまいます。卵もなければ、ソーセージもない。それでも納得の満足感がありました。  おそらくそれはパリだったからでしょう。昼も夜もフランス料理とワインが最低一週間続くなんて、日本ではあり得ないでしょうから。そうなると、結局、少量のパンと卵料理、そしてソーセージくらいはいただきたいか、と。コーヒーも出来れば美味しいものが嬉しいのですが。しかし、これらをクリアするのはなかなか至難の業か、と。ホテルの朝食は筆者をいつも悩ませるのです。 今月のお薦めワイン 「ブルゴーニュの白の双璧の一つ『シャブリ』のニューモデル」 「シャブリ 2020年 AC シャブリ ドメーヌ・モロー・ノーデ」 5300円(税別)   このクールもハーフターンしたところ。そろそろ暑さも増してきましたし、スターターがシャンパーニュでしたので、ここで白ワインで一息つくのも乙か、と。  シャンパーニュときたらやはりシャルドネですのでブルゴーニュの白を。手頃ながら意外にヴァリエーション豊かな「マコン」や例外的にアリゴテでアペラシオンを有している「シャロネーズ」の「ブーズロン」といった変化球もあるのですが、ここはやはり双璧の「ボーヌ」のモンラッシェやムルソーか「シャブリ」のどちらかにしましょう。  ということで、コート・ドールに頼りがちなのも何なのでここでは「シャブリ」を選ばせていただきました。ブルゴーニュの北の飛び地、ヨンヌ県にある「シャブリ」はその「キンメリジャン」と呼ばれる牡蠣や貝類の化石などが混じった石灰質の特殊な土壌によってミネラル分を多く含んだワインを産しています。  ひと昔、「生牡蠣にはシャブリ」というのが定番で、「シャブリ」と言えば緯度が高いこともあり、酸味の強いキレの良さが売りで、モンラッシェやムルソーは酸よりコクのある味わいが魅力と対照的な比較がなされたものでした。  しかし、実際のところ、格付け畑で造られるシャブリは酸が穏やかでエレガントなスタイルなものが多く、また昨今のビオブームで造られる自然派のシャブリは果実味を生かしたもので酸を強調するスタイルではなく、シャブリもまた多彩な味わいのワインを楽しむことが出来ます。  今回紹介させていただく「モロー・ノーデ」のステファン・モロー・ノーデは、アリス・エ・オリヴィエ・ド・ムール、パトリック・ピウズと並んでシャブリのニューゼネレーション御三家の一人として高く評価されています。2004年にドメーヌを継承したステファン氏の造るシャブリは一般的な硬い柑橘系の酸の強いものとは異なり、「ジューシーでセクシーな果実味が混じり合った非常に生き生きとしたミネラル感」が魅力と評されています。  また、ロワール地方は「プイィ・フュメ」の「シレックス(火打ち石)」というワインで一世を風靡した故ディディエ・ダグノーがエチケットのデサインに協力したというエピソードからもステファン氏のワインがフランスの白ワインを代表する資質を持つものであることが推測されます。  是非、この機会に新時代のシャブリをご堪能あれ。 ご紹介のワインについてのお問い合わせは株式会社AVICOまで  略歴関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE BOOOK関修公式HP

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『美食通信』第三十回「シェフたちとの会食――赤坂『シュマン』にて――」

『美食通信』第三十回「シェフたちとの会食――赤坂『シュマン』にて――」

 皆さんはゴールデンウィーク、どうお過ごしでしたか。筆者も含め、長い方は九連休になったかと思います。筆者は新学期疲れからか、何もする気力がなく、ずっと家にいました。最後の日曜日だけ会食の約束があり、雨の中出かけることになったのですが。この会食、筆者にとっては初めての経験で緊張しました。というのも、四人のメンバーのうち筆者を除き三名がシェフという、筆者だけ完全にアウェーな感じ。そのメンバーというのが元代々木町「シャントレル」中田シェフ、広尾「レギューム」大塚シェフ、東麻布「ユヌ・パンセ」馬堀シェフ。  中田シェフとは三月も静岡で「按田餃子」の按田優子さんたちとご一緒しました。が、筆者の亡き両親の実家も中田シェフの実家も静岡市内という偶然の一致で、静岡に出かける際は中田シェフにもお声がけして、静岡の秀逸なフレンチ「カワサキ」などにご一緒させていただいている次第です。  大塚シェフとは「シャントレル」でカウンターの隣に座られた際、中田シェフに紹介され、広尾のお店には何回かお邪魔させていただきましたが一緒の会食は初めて。  馬堀シェフとは初対面でした。大塚シェフと六本木「コジト」で一緒に働いておられたそうで懐かしく思いました。ブルゴーニュ愛好家で有名な山田シェフの「コジト」は2008年の『ミシュラン』東京版が初お目見えした際、一つ星を獲得。実はこの日会食の場となった赤坂「シュマン」もその際、一つ星を獲得しています。「ル・マエストロ・ポール・ボキューズ・トキオ」でお世話になった市川シェフの広尾「シェ・トモ」も一つ星獲得と『ミシュラン』開始時、その評価は結構真っ当だったと思うのですがいつの間にか首を傾げるようなものになってしまいました。  2008年当時、『日刊ゲンダイ』紙で「ランチで使えるミシュラン」というコーナーを担当することになり、記者の方と二人で星付き店のランチを十軒ほど食べ歩き記事にしました。「シュマン」、「コジト」もその時訪問していました。  また、馬堀シェフは麻布十番で「カラペティ・バトゥバ」のシェフを務めておられたとのこと、お目にかかれて光栄でした。実はこのレストラン、一度行ってみたかったのですが行く機会がないうちに閉店になってしまったのでお目にかかれて光栄でした。(現在は近くに移転され営業されています)  筆者のような一フランス料理愛好家が三人のシェフに囲まれて食事することになってしまい、どうしてよいやら困惑するばかりでかえって妙なハイテンションになってしまいました。とにかく三人三様でご自分の考えをはっきりとおっしゃる。語り方はソフトであったり、決して圧を感じることはないのですが、いわゆる日本人特有の「同調性」が皆無なので、筆者もついつい本音で昨今のフレンチの駄目さ加減を糾弾することに。もちろん、この場におられるシェフたちには当てはまらないのですが。  「シュマン」はオーナーの柴田さんがソムリエでいらっしゃるので、ワイン愛好家にはワイン揃いのよいレストランとして有名。筆者も何度か訪れています。中田シェフが柴田さんのみならず、シェフの信定さんとも懇意にされているようでこのレストランでの会食になった次第です。  ワインに関しては最後の一本は柴田さんがとっておきのワインを出して下さるとのことで、それまでは筆者のチョイスでということに。このメンバーならブルゴーニュなのだろうなあと思ったので、ともかくもリストのブルゴーニュの頁と格闘することに。最後のワインが高価になるだろう、多くのワインが空くことになろうと予測し、価格は抑え気味にスタートすることにしました。ともかく、シェフたちは良く食べ、良く飲まれる。テイスターの筆者とは対照的。ジュヴレ=シャンベルタンの項にカミュのグランクリュが数種、一万円後半でリストアップされていました。そこでマジ=シャンベルタン2004年を選びました。ヴィンテージはオフでしたが充分美味しくいただけました。熟成したおおらかなジュヴレ。グランクリュがこの価格とはありがたい限り。  三十年ほど前、筆者がワインに熱中していた時代、ブルゴーニュと言ったらまず、カミュの黒いエチケットが思い浮かんだものでした。1994年だったと思いますが、関西で最高の評価を得ていた心斎橋の「ビストロ・ヴァンサンク」(見田盛夫『エピキュリアン』で三つ星獲得)に出かけた際、ソムリエ氏から薦められたのがカミュのジュヴレ=シャンベルタンでした。関東はボルドー、関西はブルゴーニュという好みの違いも学んだ次第です。  驚いたのは中田シェフたちの世代になるとカミュを知らないというのです。デリケートで造り手が多彩なブルゴーニュが大量に輸入されるようになるにはリーファーコンテナが当たり前にならねばならなかったからかと思われます。  二本目は柴田さんがブルゴーニュを用意されるというのでボルドーにしようと思いました。メドックは有名どころばかりでしたので、リブールヌで探したのですがフロンサックに安くて優れたシャトーが三点挙がっていました。その中からコンサルタントとして高名なミシェル・ロランが所有する「シャトー・フォントニル」2001年を選びました。ロランはポムロールにも「シャトー・ボン=パスツール」を所有していますがフォントニルならレストランでも一万円程度で飲むことが出来ます。メルロの果実味を生かしたロランらしい濃厚なワインで楽しませていただきました。  そして、いよいよ柴田さんのセレクトされたワインがテーブルに。中田さんが「やっぱりジャッキー・トルショーか」と。筆者はその名前に聞き覚えがありました。最近、何回かフランソワ・フュエを飲んでいたのですが、フュエの「モレ=サン=ドニ プルミエクリュ クロ・ソルベ」の元の所有者がトルショーだったと記憶していたのです。モレ=サン=ドニの名手と言われていたそうですが2005年に廃業し、畑を売却してしまったようです。中田さんから、柴田さんがトルショーと知己で現役時代からトルショーをレストランで出していたそうです。トルショーはフランス国内で消費されてしまい、海外にはなかなか出回らなかったらしく、廃業後はプレミア物になっているそうです。調べてみると最後の2005年クロ・ソルベなど五十万円以上していました。驚愕しました。自分たちのテーブルに出されたのも2005年でしたが、畑違いで「モレ=サン=ドニ プルミエクリュ レ・リュショ」でした。「レ・リュショ」はシャンボール=ミュジニーに隣接した畑。ともかくも貴重な体験をさせていただきました。カミュのおおらかで明るい色調のワインとは対照的に、しみじみとしたタンニンの効いた落ち着いたワインでした。  その後もグラスで色々いただいたのですがシェフたちの酒量には驚くばかり。  信定シェフの料理は丁寧な仕事ぶりでメインの仔牛のしっとりした火通しの見事さ、ソースのモリーユの使い方の秀逸さを挙げれば推して知るべしかと思われます。  支払いは中田シェフ、柴田さんのお心遣いがあったようで予定していた予算でほぼ収まりました。翌日から大学が始まりますので先に失礼しました。皆さんは河岸を変えて、朝の八時まで飲んでおられたそうです。シェフたちの(柴田さんも含め)ヴァイタリティには感心するばかり。  貴重な経験をさせていただきました。皆さんに心からお礼申し上げます。   今月のお薦めワイン 「秀逸なるボルドー白ワインの産地でもあるグラーヴをお忘れなく」 「シャトー・カルボニュー ルージュ 2017年 AC ペサック=レオニャン」 6800円(税別)    ボルドーワインの二大産地と言えば、左岸のメドックと右岸のリブールヌと言われていますがもう一つ忘れてはいけない地域があります。それがメドックの南、ボルドー市周辺からガロンヌ河流域を遡る「グラーヴ」と呼ばれる地域です。グラーヴはボルドーの白ワインの産地として有名で辛口はもとより貴腐ワインとして有名な「ソーテルヌ」や「バルザック」もグラーヴ地区に位置します。  しかも、赤ワインも1855年のメドックの格付け第一級に例外的にグラーヴの「シャトー・オー=ブリオン」が選出されています。そこで1953年にグラーヴ独自の赤ワインの格付けが行われ、1959年には白ワインも含めた改訂がなされて現在に至っています。格付けされたシャトーはすべてグラーヴ北部の村にありますので、1986年ヴィンテージからそれらの村独自のアペラシオン「ペサック=レオニャン」を名乗ることになりました。つまり現在、「グラーヴ」を名乗るワインはグラーヴ地区南部の村に存在するシャトーのものです。  白ワインに関しては、辛口はソーヴィニヨン・ブランが決め手でセミヨンがセカンド、ミュスカデールが補助品種というセパージュです。それに対し、甘口の貴腐ワインはセミヨンが主役、ソーヴィニョン・ブランとミュスカデ―ルが補助品種といった配分です。  赤ワインは南部のACグラーヴは果実味が決め手で早めに飲むタイプ。価格もリーズナブルでランチにピッタリのワインです。パリのビストロでのランチのワインと言えば、ACメドックかACグラーヴのワインがお決まりでした。  それに対し、ペサック=レオニャンの赤ワインは煙草や燻製のフレーバーがあり、タンニンもしっかりして複雑な味わいが持ち味。格付けではオー=ブリオンとミッション=オー=ブリオンがツートップに君臨しています。  今回は格付けされたシャトーの中から「シャトー・カルボニュー」を紹介させていただきます。カルボニューは長らく白の方が有名でしたが1980年代以降赤も好調で、日本人には馴染み深い銘柄です。セパージュもソーヴィニヨン60%、メルロ30%、フラン、プティ・ヴェルド、マルベックが補助品種とメドックと同じ。価格的にも格付けシャトーの中では良心的なもので、グラーヴのトップクラスのワインを較的手頃に楽しむことが出来ます。是非、この機会に一度お試しあれ。 ご紹介のワインについてのお問い合わせは株式会社AVICOまで  略歴関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE BOOOK関修公式HP...

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『美食通信』 第二十九回  「さりげなく溶け合う三つの顔――銀座『トワヴィサージュ』――」

『美食通信』 第二十九回  「さりげなく溶け合う三つの顔――銀座『トワヴィサージュ』――」

 『美食通信』主宰のThe Cloakroom店主島田さんに、昨年四月開業し一年経ったばかりの銀座七丁目のフレンチ「トワヴィサージュ」にご招待いただきました。すでに今年度の『ゴ・エ・ミヨ』に掲載され、『ミシュラン』のHPでも紹介されたと言いますから、来年あたり『ミシュラン』で星を取るのではないでしょうか。これは興味津々です。2017年、日本版『ゴ・エ・ミヨ』が創刊された当時、若手シェフ賞を獲得したレストランを何軒か食べ歩き確認しました。どの店も料理は確かに素晴らしく及第点なのですがレストランとして再度訪れたいかと言われれば、あえて行きたいほどの店はありませんでした。つまり、ワインなりサーヴィスなりレストランという食事する「空間」に魅力が欠けているのです。筆者は「レストランの正三角形」を唱え、料理、ワイン、サーヴィスが正三角形を織り成すようにバランスよく秀でた「空間」こそ美食に相応しい名店と言えると考えます。  果たして、今回の『トワヴィサージュ』も予習で様々な資料を拝見しましたが、國長シェフを讃える記事ばかりでレストランが見えてこず、正直不安でした。しかし、サーヴィスのユニフォームを島田さんに受注するオーナーのこだわりも垣間見えていましたので期待する心もあったのは事実です。  まず、興味深かったのが住所はThe Cloakroomと同じ銀座七丁目なれど陸橋を越え、店舗の密集したビルや喧騒とは無縁な闇の中に吸い込まれていく導線でした。しかし、よく見るとグリル「梵」や「ル・ジャルダン・デ・サヴール」など老舗の名店も近くにあり、美食の界隈であることが分かりました。ガラス張りのエントランスはここがグランメゾンとはちょっと分かりにくい地味な趣ですが、ソムリエ氏が島田さんを確認するや扉を開けて迎えて下さったのは「美食」の幕開けに相応しいものでした。もちろん、ソムリエ氏は島田さんの店でしつらえたお洒落なスーツをさりげなく着こなしているのです。ユニフォームといってもホテルの黒服ではなく、オープンキッチンの中のシェフたちもグレーのつなぎ風のデニムエプロンと白いコックコートではありませんでした。  こうしたこだわりはお品書きが紙一枚で食材を羅列する流行りのスタイルではなく、カウンター席に座り、すでに置かれている陶器の蓋を開けると今日の料理に用いられるハーヴや花が敷き詰められた中に単語カードのようなものがあり、一枚一枚に料理名が記され、それをめくっては石でできたスタンドに差し込んで料理をいただくという趣向に明白に表われていました。  客席数は刈り込まれ、奥に個室がありますが防音が施され、女性たちのおしゃべりも戸が開いてシェフが料理の説明をされているときに聞こえてくるだけで落ち着いて食事を楽しむことが出来ました。國長シェフの料理は繊細なものでどの料理も優しい味。ポーションを小さくしていただいたこともあり、どの料理もほとんど残さず食したので島田さんに驚かれました。オイリーな料理は「春筍の炭火焼き べアルネーズソース」くらいでこの焼目をつけたべアルネーズソースが軽やかで絶品でした。普通はアスパラバスで作るのですが筍も良い。どの紹介記事にも載っているスペシャリテの「極みエノキのソーセージ」はそれに相応しい美味でした。とても中身がエノキだけとは思えない芳醇な味わいで、調理で出たくず野菜を煮詰めて作ったソースも濃厚ながらくどさはなく美味しくいただけました。あと、魚料理が「舌平目」だったのが嬉しかった。筆者がフレンチを初めた半世紀近く前、魚料理といえば「舌平目」が定番だったのです。いつしか忘れられてしまった食材を復活させてくださったことに感謝。  また、デセールは別にパティシエールがいらしてその方が作られていました。このスタイル、『ミシュラン』一つ星の東麻布の「ローブ」が用いて成功を収めています。これも元々昔のグランメゾンのスタイルです。ホテルにおいて料理部門と菓子部門が分かれているのがその起源か、と。ご存じのように近代フランス料理の祖エスコフィエは「ホテルリッツ」の総料理長だったのです。惜しくも閉店してしまった芝の「クレッセント」など料理長より菓子部門のトップの方の方が偉かったのに驚いたことがあります。当時はデパートの菓子売り場に「クレッセント」や「レジャンス」などフレンチの名店の菓子売り場があり、筆者は「レジャンス」のオペラが好物でよく買って食べたものです。このパティシエールの作られた「日向夏のクレームキャラメル」は食感が抜群で料理に引けをとらない逸品でした。  しかし、今回筆者が一番気に入ったのはソムリエ氏をはじめとするサーヴィスのスタッフの優秀さでした。ソムリエバッチをあえてつけていないソムリエ氏は島田さんのスーツにあのバッチが似合わないことが分かっていらっしゃる。そんなセンスの良いソムリエ氏ですから、予算を伝えてリストになかったモレ=サン=ドニのワインをお願いしたところ、三本用意されてきてその中から筆者が選んだのはジョルジュ・リニエの「クロ・サン=ドニ 2009年」。良心的な価格のジョルジュ・リニエだからこそ、グランクリュでこの価格で提供できるのを周知されている。若いがなかなかのやり手と感心した次第。  また、サーヴィスの女性陣もさりげなくさっと椅子を引き、水がなくなりそうになるとスッとグラスに注がれる。絶妙のタイミング。これはコンパクトな店構えだから可能なのでしょうが一番大事なこと。料理人と一緒にカウンター越しにソムリエがワインを出したり、ソムリエに水がないと告げると管轄違いと素通りされるなど、料理に特化した日本のフレンチの星付き店のサーヴィスの悪さといったら目も当てられない。上から目線でやたら料理の講釈ばかり並べて肝心の客への配慮に欠ける本末転倒の料理のお運びさん。それに比べ、黒子に徹し、客へ細心の注意を払うソムリエ氏とサーヴィスの女性陣こそ、食事を快適で印象深いものにしてくれているのだ、と。  店名の「トワヴィザージュ」とはゲスト、スタッフ、生産者の「三つの顔」の関係性を大切に考えての命名とHPでは謳われています。確かにそうした思いが伝わってきた素晴らしい時間でした。しかし、筆者にとっての「トワヴィザージュ」とは「レストランの正三角形」の料理=シェフ・パティシエール、ワイン=ソムリエ、そしてサーヴィスのそれぞれがバランス良く三位一体となって「美食」のハーモニーを奏でてくれたことを表していると理解した次第です。いずれにせよ、また訪れたい店に違いありません。筆者には高嶺の花かもしれませんが。 いつもながら、島田さん、素敵なお店にお連れいただきありがとうございました。 今月のお薦めワイン  「トスカーナの最高峰 ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」 「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ 2017年 DOCG ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ フォッサコッレ」9800円(税別)  前回ボルドーワインを取り上げました。今回はピエモンテと並ぶイタリアワインでボルドーに相当する二大ワインのもう一方トスカーナ州のワインを紹介させていただきます。この際留意すべきは、フランスワインは地方別でイタリアワインは州別ということです。 ボルドーワインが左岸と右岸の二種類に分類できるように、トスカーナのワインも二種類に分類できます。それは地品種のサンジョヴェーゼ系のワインとボルドーの品種を植えて造られるここ半世紀ほどの比較的新しいタイプのワインです。  まず、伝統的なサンジョヴェーゼ種のワインは何といっても「キャンティ」です。発祥地区の「キャンティ・クラシコ」から様々な地区、さらに広域のキャンティが存在します。他にはサンジョヴェーゼの亜種のプルニョーロ・ジェンティーレ種から造られる「ヴィーノ・ノビレ・ディ・モンテプルチアーノ」、モレッリーノ種から造られる「モレッリーノ・ディ・スカンサーノ」、さらにサンジョヴェーゼ種にカベルネ種を補助品種として早くから用いている「カルミニャーノ」が挙げられます。  しかし、何といってもその最高峰はブルネッロ種から造られる「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」でしょう。タンニンがしっかりして熟成に時間がかかり、また高価。そこで早くから気軽に楽しめる軽やかなタイプの「ロッソ・ディ・モンタルチーノ」も造られるようになりました。  サンジョヴェーゼ系のワインはキリッとした酸が特徴的でタイトなスタイル。まさにボルドーでしたら、メドックのワインに相当すると言えるでしょう。  今回はモンタルチーノ村の中でも最高の位置にある畑を所有すると言われるフォッサコッレ社のブルネッロ・ディ・モンタルチーノを紹介させていただきます。50%バリック、50%木樽で12ヶ月熟成。さらにそれぞれ入れ替えて12ヶ月。その後さらにセメントタンクで12ヶ月熟成。瓶熟に8ヶ月。長期熟成に耐える、骨太のずっしりした味わいの古き良きブルネッロ・ディ・モンタルチーノを彷彿とさせる出来。今飲んでも複雑味があり、エレガントな趣とのことです。是非、お試しあれ。 ご紹介のワインについてのお問い合わせは株式会社AVICOまで  略歴関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE BOOOK関修公式HP

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『美食通信』 第二十八回 「紅茶とクッキー 追悼ルネ・シェレール」

『美食通信』 第二十八回 「紅茶とクッキー 追悼ルネ・シェレール」

 筆者がパリでの海外研究の際、お世話になったパリ第八大学名誉教授のルネ・シェレール氏が2月1日に亡くなりました。百歳でした。代理人からのメールによれば、短い入院の後亡くなったとありましたので、直前までお元気だったと思われます。1922年11月25日生まれ、筆者と誕生日が二日違いで星座も同じ。もう、三十年近く前になりますが今も鮮明に思い出します。それから毎年、少なくとも年末年始のご挨拶にクリスマスカードを出していたのですが、ずっと自筆のカードのお返事をいただいていました。一昨年、お返事がなかったので昨年末はカードを出すのを控えてしまいました。今思えば、百歳のお祝いでもありましたし、出しておけば良かったと悔いています。  シェレール先生の二歳年長の兄上はヌーヴェルヴァーグの映画監督として有名なエリック・ロメール(本名、モーリス・シェレール)。先生は1969年のパリ第八大学創設時からの生き証人的存在で、近年までセミネールを大学で行っていました。その模様はYoutubeで配信されています。ミシェル・フーコー、ジル・ドゥルーズといったフランス現代思想の巨人たちと親しい友人でした。フーコーとの関係については「シェレールとフーコー」という拙論を綾部・池田編『クィアと法』(日本評論社、2019年)に執筆しています。  筆者が東洋大学で助手をしながら、シェレール先生からインヴィテーションをいただき休みの時に大学の海外研究費でパリに出かけていたのは1994年から1996年のこと。まさに遊学といった体で、最初の年こそ一人で出かけましたので真面目に大学に通いましたが、その後は昼夜フランス料理を食べ歩き、今の美食探求の礎となる経験の一つとなっています。  シェレール先生と会食したのはランチを二回。というのも、最初先生にお会いした際、「私は午後五時以降、家にいないので電話しないように」と言われたのです。当時はSNSの類はまったく存在せず、郵便以外の通信手段は電話かFaxだけでした。ですので、原稿も日本ではワープロがありましたが、パリでは自筆かタイプライターという時代でした。  最初の会食は1995年、パリ八区ジョルジュサンク通りにあったホテル「プランス・ド・ギャル」のメインダイニング「ジャルダン・デ・シーニュ」で。その時の模様は「白鳥たちの庭」という拙稿にまとめ、まず心理学雑誌『イマーゴ』(青土社)に掲載され、その後拙著『美男論序説』(夏目書房、1996年)に所収されています。この時の記憶は何といっても初めてクリュッグを飲んだこと。お世話になったお礼にとドンペリを頼もうと思ったら、ソムリエ氏がその値段出すならもう少し奮発してクリュッグにした方が良いとアドヴァイス下さり、クリュッグに。温度も冷やし過ぎてはいけないと気持ち高めの温度でいただきました。シャンパーニュの奥深さに触れた気がしたものです。この時のワインはサン=ジュリアンの第二級レオヴィル=バルトンの1978年。実に美味しかった。  シェレール先生はお酒をほとんど召し上がらず、その代わりミネラルウォーターにはこだわりがあり、サンペリグリーノをいつもご所望でした。パリのカフェやレストランで「ガズーズ(発泡性のミネラルウォーター)」といえば、大体が「ペリエ」というのが定番で、日常使いが「バドワ」。そんな中、イタリア産の「サンペリグリーノ」を何処へ行っても頼もうとするシェレール先生が何ともお茶目というか愛おしく思えました。筆者もそれ以来、サンペリグリーノの愛飲者です。さすがに沸かして飲むには向きませんのでその際、筆者は「パンナ」を使っています。ワインはフランスオンリーですが、ミネラルウォーターはイタリアと相性が良いようで。  もう一回は翌1996年、先生のお宅の近くパリ13区の「アナクレオン」で。この時は写真を撮っていて、先生が筆者と肩を組んで二人で撮った写真は今も宝物です。現在まで世界唯一のシェレール先生の思想の入門・研究書、マキシム・フェルステル氏の『欲望の思考』の拙訳を2009年富士書店から出版した際、その写真を掲載しました。献本をパリに送ると先生から「何故、私はキャップを被っていたのだろう」と連絡があったのを懐かしく思います。当時、筆者はパリにはお気に入りのアニエスbの革ジャンと革パンで出かけていて、写真におさまっています。夜の星付きレストランでのディナーにはゴルチエのダブルのスーツにカール・ヘルムの蝶ネクタイで出かけていました。蝶ネクタイは精神分析家のジャック・ラカンを意識していたのだと思います。  しかし、何より先生との食に関する思い出といえば、トルビアック通りにある先生のお宅に伺った際の「紅茶とクッキー」でしょう。アパルトマンの結構上の階にお住まいで、エレベーターで上がり、目的の階に着き扉が開くと、すぐ目の前に先生の部屋があったように記憶しています。数回は伺ったでしょうか。そして毎回、紅茶とクッキーが出るのです。紅茶は決まってマレに本店のある「マリアージュ・フレール」で、自慢げに毎回「マリアージュ・フレールなんだよ」とおっしゃっていました。普通の紅茶ではなく、烏龍茶のような独特の味わいの紅茶でした。縁のちょっと欠けた茶碗で出されるので最初は驚きました。一方、クッキーの方はこだわりがないようでスーパーか何かで買ってきたような紙製の箱や包みに入ったものを広げて出されるのです。そして、事ある毎に「お茶を飲みなさい」、「クッキーを食べなさい」を繰り返されるのです。ですので、筆者にとって、シェレール先生のお宅に伺った際の記憶は勧められるがままに紅茶を飲み、クッキーをいただいたことに終始するといっても過言ではありません。  しかし、もちろん、その間には実に様々なお話をさせていただきました。学問上のことはもちろんですが、この後ディナーに出かけると告げると、先生は「そう言えば、友人のジャン=ポール・アロンは随分と美食家だったなあ」と思い出を語って下さりました。ジャン=ポール・アロンは歴史家ですが美食家としても有名で、拙訳の『ピュドロさん、美食批評家は何の役に立つんですか?』(新泉社、2019年)でピュロドフスキも一目置く美食家として言及しています。また、ちょっとお洒落して行った際は、ファッションの話になり、先生は「それはフーリエがすでに論じているよ」とおっしゃり、「ちょっと待っていなさい」と書斎に行かれ、専門であられるフーリエの著作集を探されてきて、「ここだ、ここだ」と嬉しそうに該当箇所を示して教えて下さったものです。そして、話が一段落すると「お茶を飲みなさい」、「クッキーを食べなさい」とご親切に勧めて下さるのでした。  パリで過ごした時間は本当に短いものでしたが、レストランでの食事とシェレール先生との思い出に尽きると言っても良いでしょう。シェレール先生には本当に感謝しています。先生、ありがとうございました。心よりご冥福をお祈りします。    今月のお薦めワイン  「ボルドーの正統 メドック」 「シャトー・デュ・テルトル 2018年 AC マルゴー 第五級」9300円(税別)  フランスとイタリアそれぞれのワインの「王様」を訪ねた後は再びフランスに戻って、ワインの「女王様」にお目にかかることにしましょう。それがボルドーワインです。王様ブルゴーニュワインとの大きな違いは葡萄の用い方。ブルゴーニュがピノ・ノワール単品種でワインを造るのに対し、ボルドーは複数の葡萄をブレンドしてワインを造ります。そして、その際、主たる葡萄品種の違いによってさらに二つのタイプに分類できるのです。それは主たる葡萄品種がカベルネ・ソーヴィニヨンの地形的にジロンド河「左岸」の「メドック・グラーヴ」とメルロ主体のジロンド河「右岸」の「リブールヌ」のワインになります。  その中でもメドックのワインは1855年の格付けが現在も通用し、第一級に格付けされた「五大シャトー」はボルドーワインの顔といっても過言ではありません。今回はメドックのワインを紹介させていただきます。  格付けされたワインはすべてメドックの中でも北にある河口の上流域、即ち高い(オー)場所にある「オー=メドック」のワインから成り立っています。メドック下流域のワインは「ACメドック」を名乗り、上流域のワインは単独に名前を名乗れる村とそれ以外の村に分かれ、それ以外の村々は「ACオー=メドック」を名乗ることになります。格付けされたシャトーで「オー=メドック」を名乗るシャトーも五つ存在しますが、大多数は村名を名乗るシャトーということになります。  それらの村が上流から「マルゴー」、「サン=ジュリアン」、「ポイヤック」、「サン=テステフ」です。ただし、「マルゴー」だけは例外でマルゴー村以外のカントナック村、ラバルド村、スーサン村、アルサック村のワインも「マルゴー」というアペラシオンを名乗ることが出来ます。  また、「リストラック」と「ムーリス」は村名を名乗ることが出来ますが格付けシャトーは存在しません。その分、手頃な価格で良質のメドックワインが楽しめるアペラシオンと言えましょう。  今回は「ACマルゴー」の第五級「シャトー・デュ・テルトル」2018年を選んでみました。マルゴーのワインは上記のように複数の村がそう名乗れますので畑も複数の村に分散しているシャトーがほとんどです。その中にあって、アルサック村にあるこのシャトーは畑が分散することなくまとまった形で構成されています。長らく、サン=テステフの第三級、シャトー・カロン=セギュールのガスクトン家が所有していましたが、1998年、同じマルゴーの第三級シャトー・ジスクールのオーナーが買い取り、現在に至っています。  2018年のセパージュ等はカベルネ・ソーヴィニヨン40%、メルロ30%、カベルネ・フラン16%、プティ・ヴェルド14%。新樽率50%、樽熟成14か月。  マルゴーのワインの特徴はメドックの中では色は赤みが強く、香りに独特の青臭さ(ピーマン臭という方もいます)があります。ソーヴィニヨンの比率が抑えられているのでタンニンも強すぎず、ボディも重すぎず、エレガントな趣のワインが出来ます。「ワインの女王」と呼ばれるボルドーワインにおいてその名に一番相応しいのは「マルゴー」のワインと言えるかもしれません。シャトー・デュ・テルトルはそうしたマルゴーの特徴を優れて体現しつつも、高騰する格付けシャトーの中で価格はいまだ控えめとまさに通には見逃せないアイテムとなっています。是非、この機会にお試しくださいませ。 ご紹介のワインについてのお問い合わせは株式会社AVICOまで  略歴関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE BOOOK関修公式HP

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