「酒番日記」 映画、音楽、本、時々酒、のこと
晩春に初夏の光射し込む大都会の片隅の喫茶店
平積みされた濫読中の本と香り立つジャーマンローストコーヒー
大好きなコーヒーの香りで思い出す
海辺の町の酒場の頃
選曲されて流れ出る曲と酒を楽しむひとりの女性
いつものように頭の中に流れる音楽が次々に流れ出すその時間
その曲が流れたその瞬間、ふとうつむきハンカチを取り出すその女性
時間は弛まず流れ続けるその酒場
帰り際にひと言「ありがとう、また」と美しい笑顔のその女性
あえてここに曲名は書かない、その理由は今でもわからない
海辺の町を立ち去るその日
自身と同い年の喫茶店で最後のジャーマーローストコーヒーをいただく
その旨さ記憶に刻み席を立つ
普段は口数少なくロボットのような動きで忙しい店内を取り仕切る店長がひと言
「前から思っていたんだけど、歩き方がJazzですよね」
「え、そうですか」
「そうですよ」
「10代の終わりからJazzばかり聴いていたからですかね」
「そうですよ、きっと」
海辺の町のプラットホーム
Jazzな歩き方って、今でも答えはわからない
高校2年の思い悩むある日
地元のレコード店に立ち寄る、いつもの書店と違うその日
ふと見つけたタイトルと美しいモノクロ写真のCDジャケット
「As Time Goes By−時の過ぎゆくままに−」
CDプレイヤーを持たない高校2年生がなけなしの2800円で購入
帰宅していない姉の部屋のCDコンポから流れ出るその音、それ以来のJazz
行く先々の街でひとり立ち寄るジャズクラブ
吉祥寺でもマンハッタンでもサンジェルマンでも銀座でも
心地よい空間に酔いしれる時間に酔う自分
ジャズおじさんと呼ばれるようになった50歳のある日に聞かれたひと言
「Jazzってなんですか、勉強したいんですけど」
「Jazzってなんでしょうね、勉強、ですか」
今でも頭の中にはJazzがある
季節や景色や人込みや雑踏で、朝から晩までJazzがある
たまには演歌もあるけれど、頭の中にはJazzがある
改めて聞かれるとわからない、それは今でもわからない
平積みされた濫読中の本、宮沢賢治とJazz、Jazz Thing、選曲の社会史などなど
その中に、村上春樹著「村上春樹 雑文集」(新潮文庫)がある
挿画、装幀に安西水丸さん、和田誠さん、その二人のイラストが表紙になっているその本
その中に「ビリーホリデイの話」という素敵なエッセイがある
あえてここに内容は書かない
こんな店にいてみたい、こんな店に行ってみたい、こんな店をやってみたい
それは今でもわからない
今、頭の中には
Gil Scott-Heron/Is That Jazzが流れている
あ、でもこれってJazzかな…。
令和3年5月吉日
酒番 栗岩稔
栗岩稔プロフィール:木挽町路地裏 bar sowhatを終え、新たなステージで日々人に向かい 酒を通して時間を提供する傍ら、ブランドマーケティング業、服飾業等の経験から 事業提案、イベント企画運営、パーソナルスタイリング業も行う。 今夏から、インターネットラジオ局にて番組パーソナリティとして参加するなど多岐にわたり活動