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『美食通信』第十七回「嗜みとしてのゴルフ――マスターズを終えて――」

 今年もマスターズの季節となりました。昨年は松山英樹プロが日本人初さらにアジア人初の優勝という快挙を成し遂げました。まさか自分が生きている間に日本人が優勝するとは思っていませんでしたので、筆者もまた大変感激しました。大学がちょうどコロナ禍でリモートになっていましたので、ついついテレビに釘付けになり、気づくと朝になっている数日でした。最終日、松山選手は最終組でしたので一番ホールから最終十八番ホール、最後のパットを入れて優勝するまでずっとテレビ観戦していました。今年はちょっと残念な結果になりましたがそれでもついつい朝方までテレビに見入ってしまう日々でした。

 実は筆者、スポーツが苦手というかあまり好きではありません。団体で行なう競技がとりわけ好きになれず、学校体育は苦痛の日々でした。そんな中、唯一自ら熱中したスポーツがゴルフだったのです。ゴルフを始めたのは小学校五年生の時。ちょうど父の転勤で長野県の諏訪から神戸に引っ越してからということになります。思えば、半世紀も前のことになってしまいました。神戸に引っ越して、父が毎週末、ゴルフの練習場に行くようになったのです。

最初は興味本位でついて行ったのですが、自分も打たしてもらうとがぜんやってみたくなり、毎週父と練習するようになりました。社宅から歩いていける距離に二軒練習場があり、新しくできた方は結構な距離でしたがまだ国道に阪神電鉄の路面電車が走っていて、それに乗るとすぐでした。社宅は一軒家でしたので、小さな庭で父からもらったお古のクラブで毎日素振りをしたり、空き缶を地面に埋めてカップに見立て、パターやアプローチの練習をするようになったのです。基本的なマナーや技術などは父がくれた中村寅吉プロの書かれた初心者用の本を頼りに学んでいきました。

 子供ならではの好奇心で我流とはいえ、みるみる上達し、すぐにショートコースに出られるようになり、六年生になる頃には父に連れられ、コースを回るようになりました。父は銀行員でしたので銀行が持っている会員券があり、それをお借りして、名門の芦屋カントリークラブでもプレーさせていただきました。すでに書かせていただきましたが、関西は付け届けが盛んで、お歳暮お中元だけでなく、バレンタインなどことある毎に何か家に届くのですが、その他に休みに家族連れで旅行にご招待下さるなどということもありました。

東条湖という遊園地やゴルフ場といったリゾートを湖畔にしつらえた人口湖があり、そのほとりにある某企業の保養所に数回出かけました。社宅の隣の方とご一緒し、家人は遊園地、自分は父とお隣のご主人と三人でゴルフという訳です。自分はその東条湖カントリーが一番好きでした。関西のゴルフ場は関東の林間コースとは異なり、丘陵コースと言い、アップダウンが激しく、ホールの周囲を木が囲むこともありません。海辺にあるイギリスのゴルフコースをそのまま内陸に移した感じです。ところが東条湖は人口湖ですので、その周囲はフラットでまさに関西では珍しい林間コースだったのです。真夏でも木がありますのでどこか涼やかで実に気分良くプレー出来たのです。

今から五十年も前に小学生がゴルフなどというとよほど特別なことのように思われましょうがそれ程でもありませんでした。当時の会社員は誰もが接待ゴルフ、麻雀等々が仕事のようなものでしたので、自分と同じような境遇のゴルフ少年が同じクラスにいたのです。内田君といってお父様は鐘紡に勤められていました。まさに転勤族の子息です。夏休みが終わって学校が再開すると、お互い、休み中にどこのコースを回ったかなど語り合ったものです。

そのように子供の頃からゴルフをしていたならプロになることを考えたりしなかったのなどと若い友人たちからよく尋ねられるのですが、微塵もそのようなことを考えたことはありません。ゴルフはあくまで趣味、嗜みでしかないというのが常識だったからです。自分が子供の頃、ゴルフを生業にするというのは中卒でゴルフ場に勤め、キャディーから叩き上げるまさに職人の修行でしかなかったからです。

もともと、ゴルフはプロスポーツではなく、「紳士の嗜み」として人気を博してきたのではないでしょうか。実際、筆者の子供の頃、アマチュアゴルフ界には中部銀次郎(19422001)という「プロより強いアマチュア」といわれた名プレーヤーがいました。今でこそ、アマチュアゴルフ界はプロになる前の大学生のためにあるかの如くの様相を呈していますが、当時プロゴルフとアマチュアゴルフは別の世界と子供ながらに筆者は捉えていました。中部氏は大洋漁業の社長のご子息。小学校からゴルフを始められ、甲南大学卒業後は大洋漁業の関係会社に就職。サラリーマンをしながら、生涯アマチュアとして活躍されました。ですので、筆者は一度もプロゴルファーになろうなどとは露ほども思ったことはありません。また、父も自分をプロゴルファーにしようなどと考えたことはなかったでしょう。実際、中学二年生の夏に東京支店に転勤になり、船橋の社宅に住むようになってからもゴルフコースには連れて行ってもらいましたが、筆者は以前のような熱心さをなくしていました。それでも、父は別にあれこれ言うことはありませんでした。銀行の同僚が会員権を買うというので、お付き合いで買っていましたが筆者はそれを使わせてもらうこともあまりなく、時々父と一緒に回ったりするくらいでした。

父は筆者が大学に入ってフランス料理に熱中し始めると、銀行の部下の女性行員を二名招いて筆者と四名で毎月フランス料理の食べ歩きをさせてくれました。訪れる店は筆者に任せて、金は出すが口は出さない。ゴルフの時と一緒でした。今は亡き父に心から感謝している次第です。

筆者の母方の祖父はアマチュア野球の審判として、高校野球の甲子園への静岡県大会決勝の主審を務めるなど社会人野球に尽力していました。その縁もあり、母の妹は父の母校ででもある県立静岡商業が甲子園で準優勝した際の監督と結婚し、その叔父はアマチュアゴルファーとして静岡県でもトップクラスの成績を収め、ゴルフショップを経営しています。しかし、筆者は叔父とは一緒に回ったことはありません。ゴルフの話はもちろんしますが。

つまり、ゴルフはあくまで「社交」の一つなのであり、それぞれのテリトリーの中で一緒にプレーすることで人間関係も潤滑になり、生活に潤いが出るのではないでしょうか。筆者は子供の頃、内田君と学校でゴルフの話で盛り上がりましたが、彼と一緒にプレーしようと思ったことはありませんでした。それは内田君には彼の家庭のテリトリーがあり、転校生というその境遇は同じであっても自分の家庭とは異なっていると子供ながらに理解していたからと思います。

一家総出で子供をゴルファーにしようという家庭を見るにつけ、父が平凡なサラリーマンであって本当に良かったと心底思う今日この頃です。

 

 

今月のお薦めワイン

「フランスワイン第三の産地 ヴァレ・デュ・ローヌ」

「コート・デュ・ローヌ ルージュ プティ・ロワ 2018年 AC コート・デュ・ローヌドメーヌ・ヴァル・デ・ロワ」 2200円(税別)

 今回はフランスの赤ワインでブルゴーニュ、ボルドー以外の代表的ワインを紹介させていただきます。すでに繰り返し申し上げてきましたように、ブルゴーニュは緯度的に赤・白双方の銘酒を産することの出来る実に恵まれた地勢を有しています。ですので、赤ワインはより南が適していることが分かります。そして、ブルゴーニュをそのまま南下した場所に位置するのが「ローヌ」のワインということになります。

 ローヌの赤ワインを代表する葡萄品種は何といっても「シラー」でしょう。ボルドーの「カベルネ・ソーヴィニヨン」「メルロ」、ブルゴーニュの「ピノ・ノワール」と並んで世界中でヴァラエタルワインとして造られている品種の一つです。南の葡萄だけにスパイシーで野性味にあふれ、アルコール度数も高い。北ローヌではシラー単品種で造るワインが多く見られ、最北の「コート・ロティ」はその中でも高価な銘酒を生み出しています。また、そのすぐ南に位置する「コンドリュー」は早飲みの高級白ワインの産地でヴィオニエ種という珍しい葡萄品種から造られています。

 しかし、多くのローヌのワインはシラーとグルナッシュなどの混醸でスタイルとしてはボルドーに近いと言えましょう。その中でも珍しいのは南ローヌを代表する赤ワイン「シャトーヌフ=デュ=パープ」で13種類の葡萄品種を用いることが出来ます。造り手によっては単品種で造る者もいて、多彩な味わいを楽しむことが出来ます。

 今回ご紹介するのはもっともポピュラーな「コート・デュ・ローヌ」の赤です。ブルゴーニュで言えば、ACブルゴーニュに相当するワインです。上記の通り、シラー、グルナッシュ等の混醸で、グルナッシュは南仏のワインでもよく用いられますので、シラーの割合の多いワインを選んでみました。この「プティ・ロワ」はシラー60%、グルナッシュ40%となっています。

 造り手はエマニュエル・ブシャール。ブルゴーニュワインを代表するドメーヌ、ブシャール家の一族で父のロマン氏が1965年に南ローヌのヴァルレアに畑を持ったのがこの「ドメーヌ・ヴァル・デ・ロワ」の始まり。エマニュエル氏は97年にドメーヌを継承。2013年にエコセール認証を得るなど自然派ワインを造っています。自然酵母での発酵、樽を用いず、葡萄の味わいそのものを感じられるワイン造りがモットーとのこと。

 若くても楽しめる果実味たっぷりのローヌのワイン。ブルゴーニュの洗練さと対照的な野趣味にあふれたパワフルな味わいはこれからの季節、野外でのバーベキューなどにもピッタリかと思われます。是非お試しあれ。

ご紹介のワインについてのお問い合わせは
株式会社AVICOまで 

略歴
関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。
専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。
著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。
関修FACE BOOOK
関修公式HP

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